第1章 死送る者のレゾンデートル ─ ケース3 ─

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「お母さんが帰ってきた! ナギサお姉ちゃん、イサナお兄ちゃん、また明日ね!」  ユキナちゃんが手を振り叫びながら、お母さんのところに駆けていく。  娘が手を繋ぐと、母は僕らを見ながら頭を下げる。娘がまた手を振った。  朱に染まる夕映えの空の下、母娘が手を繋いだまま家に帰る。  そんな光景を見て、胸が沁みるように温かくなった。 「倖せそうだな」  幸福の象徴のような姿だった。  ネグレクトの横川家とは大違いである。 「みんながあの母娘のようだと、虐待という言葉がなくなるのに」  僕は噛みしめるようにつぶやく。  それをナギサが黙って聞いていた。  ナギサと別れて家に帰ると、母が夕飯を作って待っていた。  食卓には、うどんとタコの酢の物が並んでいる。 「何だか変な取り合わせだね、今日の夕飯は」 「今日は暑かったから、冷やしうどんもたまには良いでしょう」  背を向けた母が麦茶を用意しながら答えた。 『半年に渡って実の子を監禁虐待していた母親が証言した──』  テレビのニュースで先日の児童虐待事件を報じている。 「イサナちゃん、食べましょう」  麦茶を運んできた母がテレビを消して言った。  きっと僕が厳めしい表情をしていたのかもしれない。  食事時に陰惨なニュースを観るのを、母は嫌う。  大事な人を亡くした遺族を考えると食事するのが申し訳ない、という理由らしい。 「なぜ、うどんとタコだと思う?」  母が訊いた。 「タコが歩いていたのを生け捕りにしたから」  空気を和ませようと答える。 「違うわよ。今日ね、半夏生(はんげしょう)の日なのよ」 「半夏生って何?」 「この頃に降る雨を半夏雨と言って、大雨になることが多いのよ。それで農家はこの日までに畑仕事を終える節目としているんだって」 「大事な節目の日なんだね。でも何でうどんとタコを食べるの?」
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