第1章 死送る者のレゾンデートル ─ ケース3 ─

6/15
前へ
/184ページ
次へ
 次の日、朝のことである。  革靴を履いて玄関を出ようとしたら、つんのめってドアにぶつかりそうになった。 「イサナちゃん、何やってるの」  母が呆れ顔で言うので、つんのめった原因をさぐる。 「あれっ、靴の紐が切れてら」  持ち上げた片方の靴紐が、刃物で切断したように垂れていた。 「えっ、まだ買ったばかりの靴なのに」 「あらやだ、縁起が悪いわね」  母が口を押さえながらつぶやいた。 「そ、そんなの迷信だよ。それだけハードな仕事なのさ」 言ってはみたものの、見事に両断された靴紐を眺めると不安になる。  そんなに酷使してはいないし、3月に買ったばかりで半年も使っていない。  母の言葉ではないが、何となく気持ち悪く感じた。 「簡単に迷信って言うけど、それは江戸時代の言い伝えからきているのよ」 「江戸時代って、そんなに古いことなの?」 「葬式の風習で墓地から帰るときに、ワザと履物の鼻緒を切って捨てるのよ。 墓場の土を踏んだ履物は穢れたものとして、それを捨てることによって墓地にいる死霊がついて来ないようにしたんだって」 「へぇ~、そこから靴の紐が切れると縁起の悪いと言われるようになったんだね」  ちょっと感心した。母は服部女史と同じく本が好きなのである。  暇があれば本を読んで雑学を仕入れている。  だから家中が本だらけで廊下にも置いている始末で、それには辟易しているのだ。 「だからイサナちゃんも靴を履き替えなさい」 「履き替えるって言ってもスニーカーしかないよ。スーツにスニーカーは合わないよね」 「ちょっと待ってね」
/184ページ

最初のコメントを投稿しよう!

40人が本棚に入れています
本棚に追加