第1章 死送る者のレゾンデートル ─ ケース3 ─

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 その揺るぎない言葉を聞いて、良子さんが小さく安堵の息をもらす気配がした。  僕は心ならずも眼が潤んでしまった。  正直、自分1人では心細かったのである。  それが相談所の灯りを見て安堵し、事務所の人々に会って心のタガが外れた。 「対応会議!」突然、女史が声をあげた。  すると宿直の職員を除いて、残った職員が一斉に奥のミーティングルームに移り始める。  対応会議は、緊急の処置が必要になると必ず開かれるのだ。 「猫屋田君はすまないけれど、お母さんとお子さんを一時保護所に案内してくれないかしら。それからミーティングルームに来てちょうだい」  女史が早口で指示する。こういうときの彼女は巨漢に似合わず素早いことを知った。 「それでは横川さん、清太郎君と節子ちゃんを保護所に連れて行きましょうか」  僕は促すように言うと、良子さんが硬くうなずいた。  まだ緊張が解けていない様子で、兄妹の手を左右に握ったままである。  何よりも子どもを守る姿勢が感じられた。  あのネグレクトと言われたゴミ部屋の住人とは思えない。  やはり人は、危機に瀕したときに本当の姿が見えるものなのだ。 「保護所は別棟にありますからね」  先導して案内すると、 「ネコがヤダのお兄ちゃん、ありがとうございます!」  兄妹が頭を下げて言った。再び頭を上げると、笑顔がはじけていた。  胸に沁みるような満足感に浸る。  別棟に移動しようと渡り廊下を歩いていたときであった。  玄関からもれる四角い灯りの端に立つ、黒い人影があるのに気づいた。 「あ、彰之っ!!」  良子さんが悲鳴まじりの声をあげた。  それは良子さんの夫の彰之だった。彰之は血走った眼で僕を睨んでいる。  その手には鈍く光る刃物が握られていた。 「……良子、お前ぇ」  彰之が扉を開けて近づいてくる。
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