最終章

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「なぁなぁ、二人共俺らのこと忘れてねー?」 「絶対忘れてる。おまけに今自分たちが何処にいるのかも忘れてる。ヤダねぇ。全く…」 不意に投げ掛けられた声でハッと我に返った。 ………そうだった…此処は社長室で、紀藤課長と楠田課長もいたんだった。 私はいつから意識が異空間に飛んでいたんだろうか。 「…ごめんなさい…」 突然襲ってきた羞恥心に耐えられなくなって俯いて顔を隠すしかなかった。 「別にいいだろ?抱き合ってるとかキスしてるとかじゃねーんだから」面倒くさそうに答える社長に紀藤課長が噛み付く。 「お前は開き直り過ぎだ!俺に見せつけてんのか?くそぉ、やっぱりお前より先に美緒ちゃんをモノにするんだったなぁ」 「「お前には無理だ」」 「二人揃って言うんじゃねー!それも即答すんな!」 クスクス笑いながらテンポよく楽しそうに会話するこの人たちを眺めていた。 本当に、こんな日が自分に訪れるなんて思ってもいなかった。 人間は裏切る生き物だということさえ知らなかった頃の私は、 初めて出来た恋人の拓と初めて出来た親友の真奈を心から信頼し、信じることは当たり前のことだと疑うことすら知らなかった。 だから二人に裏切られたと知った時、何が起きているのかを全然理解出来なかった。 あの時初めて自分の中のいろんな機能が正常に働かなくなることを経験したんだ。 目の前の光景を確かに見ているのに脳に伝達されず…身体の中を流れている血液が一瞬にして温度を無くし、感覚という感覚が全て麻痺した。 衝撃が大きすぎると人間は簡単に壊れるものなのだと身をもって知った。 時間感覚もわからなくなるし、空腹も眠気も感じない。 呼吸することすら忘れているように、ただただ其処に存在していた。 玲奈からの無償の愛情を受けることでやっと脳や感覚が僅かにずつ動き出し、現状を把握出来るようになっていった。 人はこんなにも簡単に他人を利用し裏切ることが出来るものなのだと知り、 人は皆、本音と建前を上手く使い分けているのだということも嫌というほど教えられた。 人が自分に向ける表情も、掛けてくれる言葉も全然信じられなくなり、 “恋人”を信じる気持ちも“親友”を信じる気持ちもわからなくなって疑心暗鬼の塊になった。 きっと初めての裏切りの後に玲奈に出会っていたら、彼女のことも信じられなかったと思う。
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