第1章

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「じゃ弥右衛門でいきますね」 板前が背後から日本酒の瓶のひとつをつかんだ。 青年がずらりと並んだ日本酒のラベルを眺めていると、目の前に突き出しの小鉢がことりと置かれて。覗き込めば蕗とウド、それに菜の花とシメサバが和えられている。 春の先取りですね、と青年が呟いて箸をつけた。 「あ、レモンと白ワインで和えてあるんだ」 ふーんと肯きながら口に運べば、若い板前が日本人形のように整った顔に笑みを浮かべた。にこりと笑いかけられた青年がちょっとどぎまぎした表情になる。着ていた青いダウンを脱いで、椅子の背にかけた。 「お兄ちゃん、見かけない顔だけど観光で来たのかい?」 何を頼もうかと壁に張られた『今日のおすすめ』を眺めていた青年に、一つ離れたカウンター席に座っていた老爺がにこにこと話しかけてくる。そうです、と蕗を口に運びながら青年が人好きのする笑顔を向けた。擦り切れたジーパンに赤いチェックのシャツ、癖のある長めの黒髪をうなじでひとつに結わえている。 「こんな店、よく見つけたね」 老爺の言に、カウンターの中の板前がこんなお店はないでしょうと苦笑する。 「や、俺、美味いものを見つけるの得意なんですよ」 青年が小鉢を持ったまま得意げに言う。 「こう、野生の勘っていうか、本能みたいなものがですね、こっちの方向に何かありそうだぞって」 「うん、あんたの勘もたいしたもんだよ」 はははと背中をどつかれて、青年も笑いを返した。 「葵ちゃん、柳鰈焼いてよ」 小さなテーブル席のひとつを占めていた六十代も半ばと思えるおばさま方から声がかかる。はいと返事をしながらも、『あおいちゃん』は止めてくれないかなと板前が軽く眉を寄せた。 「なに言ってんの、あんたがオムツしてた時から知ってるんだからさ。今さら『秋月(あきづき)さん』とでも呼べっての?」 「そうそう。あたしは平目のお造りね。それと焼き目大根」 黒髪の青年がふと周囲を見れば、五人ほどいるお客は皆シルバー世代ばかりだ。老人会の集まりってわけでもないんだろうけどと独りごちる。 『秋月葵』さんっていうのか・・・・・・きれいな名前、似合ってるよね。 カウンターの中でくるくると動く紺の作務衣の姿を、黒髪の青年が見つめた。
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