ファンシー

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山奥の叢に息を潜めながら犯人を観察している主人公。犯人は動きが鈍く、走行も乱れている。狙いを定める。十字型に正確な照準を合わせると同時に心臓の鼓動が耳に入りやすい。犯人は所在不明の人間からの執拗な追跡におびえている。 深呼吸。引き金が引かれた。 横にいる彼女は特大サイズのポップコーンを一人でほうばっているばかりで反応しない。僕は映画が良かったと思っているが彼女はそうではないのか。スクリーンの画面が黒くなりエンドロールが流れている。「どうだった?」まだ口いっぱいにポップコーンを入れていた。 「抱えないでもう置いたら?映画終わったよ」 「うるざいばね。もうじょっとまっで」 ポップコーンの粒一つでも見逃せまいと手と口が連動し、まるで珍獣を見ているようだった。 「あと三秒!」 3・・・・・・2・・・・・・1 「終わったあ。うまい」 呆れた。 映画館を出た後、店に帰らなかった。彼女がバーにでも行こうと調子に乗り出したからだ。でも時間は深夜だ。彼女のお母さんにまた怒られるのが目と頭に浮かぶ。映画館なら暗くなるからまだしもLEDが光りっぱなしのバーだったら顔の傷のことが火種となって喧嘩にでもなるかもしれない。だが僕には彼女を止められそうにない。お酒を飲んでいないのに言動が怪しい。「本当に行くのか?」 「あったりまえでしょ。ここまで来たら酒しかないの」 「どうして?」 「それは・・・・・・」突然視界の右端の黒い影が消えた。 「どうした?」振り返ると彼女は顔を下に向けて泣いていた。幸い周りに人は僕以外誰もいない。「どうした?」 「あたし、ブスでしょ?」 嘘をつく絶対感に駆られたがこの子に嘘は通じない。「まあ、世間ではそう言ってからかう奴はいるな」 「あたしのこと、どう思ってる?」 「良い奴だ。優しい。だからコーヒーもうまい」さすがの彼女も笑った。「少しは元気になるだろ?」 「さっきの映画の主人公みたい」 「はっ!あんなにハンサムじゃないよ」 「そんなことない」 「あ、そう」 「似たもの同士なんだね。きっと」 彼女は手で涙を拭うと僕の顔を触った。粗い砂のような感触だ。僕の髭面が原因なのか彼女の手にできていた豆が原因なのか判断できない。キスまではしなかった。僕はしてもいいようにとっさの心の準備をしたが彼女の心は開きかけてまた閉じてしまった。結局、翌日店でまた会うことにした。
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