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人の死とは、実に呆気ないものである。
と、僕は今際の際にそう悟った。小学校三年生の秋頃に父親が勤める会社が倒産して、両親に見捨てられてから苦節十年。自分で興した会社がようやく軌道に乗り始めたかという時に、それはもう呆気なくやってきた。
全身から生命力が流れ出していく気がする。誰かが僕を呼んでいるようだが、それがもう誰かも判別できない。でもまあ、その抑揚や発音でなんとなく一番近しかった部下(といっても歳上だが)である女性だろうなあ、と思う。
神も仏も信じてはいないが、もし生まれ変わるならもう少し楽に生きてみたいものだ。苦労するのは嫌いじゃなかったけれど。
グッバイ、ワールド。
「産まれました!元気な男の子です!」
誰かが僕を抱き込んだ。女性特有の柔らかくてふんわりとしたフローラルな香りが鼻腔をくすぐる。
目を開くと、そこにいたのはなんとも可愛いメイドさんだ。二十歳いかないくらいだろうか。陽光を受けて輝く銀色の髪は後頭部辺りでまとめられており、頭にはホワイトブリムが乗っている。
身長こそ平均的であろう彼女に、僕は抱き込まれていた。待って、体格的にそれはおかしい。元々栄養が足りなく小柄だったとは言え、女性の平均身長程度はあったはずである。それに、産まれましたとは一体どういうことだろうか。
「あうあう」
言葉にならない声が漏れた。正確には、誰ですかと訊ねようとしたのだが、口が上手く回らなかったのだ。
「お坊ちゃま、もうお喋りになられるのですか!?」
メイドさんがこっちの顔を覗き込んでくる。女性遍歴ゼロの僕は、そんなことをされたら恥ずかしくて耐えられない。
「あうー」
僕の悲鳴も、やはり言葉にならないものに成り果ててしまう。誰かヘルプミー。手をバタバタさせても、短過ぎて何かを掴むことすらできない。そもそもそんな握力があるかどうか怪しいところではあるが。
どうやら状況証拠――物的証拠でもあるか、を鑑みる限り、前世の記憶を保ったまま人生をリスタートしてしまったらしい。
「あら、これは将来が楽しみね」
ベッドに横たわる優しそうな女性は、僕を見てそう言った。見た目は、メイドさんより少し歳上、だろうか。温厚そうな顔には脂汗が浮かんでいる。明るいブラウンの髪が白いシーツの上に広がっていた。
つまり、この人が僕の母親になるのだろうか。
――っ。胸が苦しい。理由は、分かっている。
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