二章 魔神

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無邪気な邪気を伴わせた吐息は、『霊界師』と肉塊の背筋に等しく這いずった。 果てのない歪みを含めた笑い。 その笑いに肉塊が恐れをなしたのは、彼女もまた同じような存在に"創られた犠牲者"だったからだろう。 「――カァァァ!」 四足歩行の動物を思わせる動きで、肉塊はヌルから即座に距離を取った。 その俊敏さたるや、並の猛獣を遥かに凌ぐ速度である。 だが、ここで一つ問題があるとするならば―――― 肉塊が距離を取るよりも早く、いつの間にかヌルの手に収まっていた大振りのナイフが振るわれた事だった。 肉塊が天井に張り付いたと同時、ボトリと音を立てて床に落ちたのは、ソレの両腕。 不思議そうに自分の両腕を肉塊が見つめていたのは、ほんの数秒の事だ。 怪物は自分の身に何が起こったのかを理解するや、声にもならない絶叫が部屋を木霊する。 その無様な姿を嬉々として見つめるのは、ナイフに付いた血を舐めとるヌル。 「……あぁ、そうだ。痛覚は残していなきゃなぁ? お前らしく無いよな……そうじゃなきゃ。くくく」 狂気に胸を踊らせながら、ヌルはゆったりとした調子で肉塊へと歩み寄る。怯え惑う『霊界師』の存在など、気にもかけずに。 まるで、死別した筈の最愛の人間にでも出会えたような――そんな色すら、少年の顔には確かに浮かんでいた。 「あんな幕切れじゃ満足出来なかっただろう? 俺にできたんだ。お前にもできるだろう、信じてたぜ……こうしてまた喧嘩を売ってくるって」 そして、蕩ける心情を抑えきれないとばかりに、ヌルは――肉塊の肋目掛けて爪先を食い込ませる。 響く絶叫。 それを上回る哄笑。骨を砕き、肉を潰す音が悲壮な音色を一層際立て――何時しか、絶叫が鳴り響く事は無くなっていた。 「……あぁ、またお前を殺せると思うと……下らなくなってきたな。ここの小間使いも……」 完全に沈黙した肉塊を尚も幸せそうに見つめるヌルは、そう小さく呟く。 高揚を隠しきれないとばかりに、少年は天を仰ぎ見る。そんな折り、男は声を震わせて目の前の悪魔へ問い掛けた。 「……お前は、誰だ……?」 「…………」 「お前は、誰なんだ!」 不機嫌そうに自分を見据える瞳に、『霊界師』は身体の震えを抑えられなかった。 それでも、これだけは言える。この男は――ヌルのようでヌルではない存在だと。
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