241人が本棚に入れています
本棚に追加
確かにあの少年にも、並々ならぬ悪意と慧眼が秘められていたのは『霊界師』でも理解していた。
だが、このヌル――この悪魔の底に潜んだ悪意は、それまでのものと明らかに格が違う。
「あー……」
『霊界師』の問い掛けに、ヌルは面倒そうに頭を掻いた。
答える事が面倒と言う訳ではない。この男を殺した後の処理が面倒というだけの話だ。
しかし、ここまで見られてしまえば、ヌルからしても隠しておく必要がないのもまた事実。
ならば、ここで殺すのが一番か。
胸中でそう思いを馳せ、ヌルは手元のナイフに力を込める。
「……なーんちゃって」
「は……?」
「やだなぁ、助けてあげたのに……何者扱いされたら、流石の僕も心臓が抉られたような気持ちになるじゃないか」
だが、その凶刃が『霊界師』に届く事はなかった。
先刻までのソレとは違う、どこか人を小馬鹿にしたような笑みが男へと向けられる。
どの角度から見ても同じ顔だというのに、あのヌルとは別人にしか見えない。
――どういう、事だ……?
『霊界師』が抱くのは、疑問と警戒。自分の理解を超えたものはスタージャに入った時から、両の手では足りない程に見てきた筈だ。
しかし、今日起こった出来事――その中でも、取り分け今のヌルの態度が最も理解できない。
脳髄が軋み、現状を上手く把握するのが不可能となってしまったのか。そうでないならば、今のヌルと数瞬前までのヌル――この変わり様は何だ?
――今さっきまで俺を殺そうとしていた少年と……この少年……。
――まるで、人格が……いや、魂が入れ替わったかのようだ……。
――……魂?
魂。人の器の中核に位置する存在。自分だけが生身で踏み込める領域。
ヌルの多重人格を疑うよりも早く、『霊界師』が己の力を行使しようとしたのは、長年医療に携わった人間としての勘が働いたからだ。
視神経に全ての魔力を繋ぎ――常人には見えない世界を映し出す。
人の本質を見極める所作。『霊界師』は言葉を紡がず、ただそれだけを行おうとして――
「"僕は僕だよ。決して誰かが僕の中にいる訳じゃあないさ"」
声が響いた。
絶対的な力を持った声が。真実を置き去りにする、理をねじ曲げる域に至った業が『霊界師』の自由を束縛していく。
最初のコメントを投稿しよう!