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俺は自分の面倒くさい性格にため息を吐きながら、キッチンに向かった。
コーヒーでも入れようとしたのだが、急に耳鳴りと共に胸が苦しくなり、キッチンの横の踏み台に座り込んだ。
いつものことなので、もうさほど気にはしていないが、いいかげんうんざりだった。
年末までに別の医者に行ってみようか。
そんなことを考えながら、そのまま背を丸め、うずくまった。
ゆうに15分はそうしていただろうか。耳鳴りは去り、胸の痛みも引いてきたところでゆっくり立ち上がり、キッチンに入る。
コーヒーとホットミルクを入れてリビングに戻り、ふと、床に座り込んで絵を描き続けている璃久の様子を見た。
不思議なことに、璃久の手は迷わずキャンバスの上で動いているのに、その目線は部屋を浮遊し、そして時折あの床下収納庫の扉に注がれる。
ゾワリと再び悪寒が背中に走った。
「人の家をじろじろ見るなよ」
一瞬にして頭に血が上り、滑稽とも思える言葉を浴びせたが、苛立ちは収まらない。わざとドカドカと大きく床を踏みならし、俺は璃久の横に歩み寄った。
怯えているだろう少年を威圧的に頭上から覗き込み、……そして今度こそ戦慄した。
璃久の抱え込んでいるキャンバスの中には、一人の女が居た。
描き始めて40分と経っていないというのに、しっかりと実体を持ち、憂いた目をしてこちらを見ている。
見覚えのある口元のホクロ。
そしてローズ・バイオレットのカーディガン。
気が付いた時には、俺は少年の手からペインティングナイフを奪い、その鋭利な切っ先を白い喉元に突きつけていた。
「何のつもりだ。誰に教えられてそんなふざけた真似をする!」
咄嗟のことに理性を失った俺を、色の薄い瞳でじっと見つめたまま、少年は静かな口調で言った。
全てを見透かし、そして見下すように。
「だから何度も言ってるでしょ。女の人が泣いてるって。あのイチョウの絵の下で。そして、床下で。塗り込められて泣いてるよ、お兄さんの恋人、優香さん」
俺は途端に全身から力が抜け、ペインティングナイフを床に落とした。
ナイフに付いたローズバイオレットが床の上に飛び散った。まるで、血のように。
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