第1章

7/8
前へ
/12ページ
次へ
すいと立ち上がった朽葉が、秋月の手から証文を抜いた。 「……また来ますよ。良く考えておいて下さい」 釣りは要りませんとカウンターに一万円札を置いて、男が出て行った。覚えてろよ!とお決まりのセリフを残して、沼田がガシャンと音高く戸を閉めた。 「秋月さん……いったい?」 なにがどうなっているんです、と夏目が秋月を振り向く。 「……つりを」 俯いて唇を噛んだ秋月の低い声。 「はい?」 「つりを渡して来い!」 「あっ―――はい!」 今までに聞いた事のない声で怒鳴りつけられて。夏目が慌ててレジから釣り銭を出す。引き戸を開けて路地に出れば、雨の上がった曇り空の下に去っていく後姿が見えた。 「待ってください!」 呼ばれてゆっくりと朽葉が振り向く。 「お釣りです」 差し出した夏目の手を見詰めて、薄く笑った朽葉が首を振る。 「取っておいて下さい」 「いえ、秋月さんに言われましたから」 「あなたが取っておいて下さっていいんです」 夏目の目が細まる。 「あなた方から貰う謂れがありません」 きっぱりと言った夏目が、黒いレザーの胸に釣りを押し付けた。 「……飼い主が強情なら、忠犬も強情というわけですか」 黒い丸サングラスの奥で、何かがゆらりと立ち上って。夏目がはっと身構えようとした時、横から沼田がその手首を掴んだ。 ふっと朽葉の気配が鎮まる。口を開きかけた夏目の手を、沼田がぐいと引き寄せた。 「お前、新しい板前か?」 朽葉を意識したまま、夏目がぎょろりとした目の沼田を見返す。 「あの店、辞めた方がいいぜ」 強く握られて、掴まれた手首に痛みが走る。 「自分の身が可愛ければなあ!」
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加