一、無音のイントロダクション

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 開いた小説の上で綴られた文字も、どこか読まれる事を避けている様な 錯覚に陥る。  ゾクゾクと耐えられない衝動が、ドクドクと脈を打ち、足元から虫みたいに 這い上がって来る様で、無視したいが、いてもたってもいられず、 席から無心に逃げ出す。  少女がこうなる時、いつも唯一の避難場所は、トイレの個室だ。 ここでも、一番奥が所定の位置。律儀に区切られたこの空間が、何もかもを 洗い流してくれる。  ただ、じっと。きっと誰が入って来ても息を潜め、悟られない自信があった。 この場合、盗み聞きになるのか、同学年の会話に聞き耳を立てる事もある。 「この間のテスト、どうだった?」 「手応えなんて何もないよ。どうせ、内申だって決まってるし、今さらでしょ」 「まぁね。それに、どうせまた、口無しのアマが一位なんだし」  どんな風に、自分が見られているかなんて、本当はとっくに知っていて、 でも、どこかにわずかでも変わったかもしれない、変わろうとしている 気持ちの移ろいを期待していた。  浅はかな思い過ごし。場違いな勘違いを鼻で笑ってやりたかったが、 それさえやり方を忘れていたくせに、涙だけが面白いぐらいに後引くアドリブで 零れ落ちて、深い傷から出血を帯びたみたいに、いつまで経っても止まらない。
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