一、無音のイントロダクション

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 惨めで、不様で、おぼつかない手で、ポケットから取り出したハンカチと一緒に、 何かが一緒にへばり付く気がした。しわくちゃになったそれは、 昨日のオープンキャンパスで貰った、安い紙で作られた一枚のチラシだ。  少女の眼鏡は、汗と涙のせいで水蒸気を生んで曇り、潤んだ視界で鮮明には 見えなかったが、明るみになった途端、そこには堂々と胸を張った直筆の 文字たちが踊っていた。  一文字一文字、お世辞にも達筆とは言い難いが、やたらと暑苦しい活気に 満ち溢れ、どうと言う内容でもないくせに、どこから来るのか、並々ならぬ 誇りらしきものを刻みつけている。 それが何だかユニークで、不覚にも笑えて来てしまう。  これを書いたのが、昨日のあの黒のニット帽の男なのか。 吹っ切れると、ただ、確かめてみたいと言う以外に言い表せない、今度は 好意的に湧き上がる衝動が、少女の歩む絶対的なレールからの脱線を促した。  下校するだけならば、馴染みのない、普段は降りない駅で降りて乗り換える。 初めての経験だった。見た事のない電車から眺める街の景色が、夕焼けに そっと抱かれ、安らかな表情でくつろいでいる。 今、余裕もなく、そわそわとしている自分との対比に嫉妬した。  
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