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森番とのあのやりとりを思いだすだけで、かなでは少し憂鬱になった。
それでも、出かけようと火を消す。朝まだき、やはり、まだ暗い。部屋を出る前に一度たちどまり、かなでは大きく首をうなずかせた。
「ヒコは、生きてる」
森番のことばを打ち消して、強く自分に言い聞かせる。
そう、生きている。放っておいたって、いつか自分に会いに来る。出会いをすこしだけ早めるだけのことだ。
「会える。会えるもの」
くりかえして沈みかけた気持ちを鼓舞し、自室から踏みだす。
隠しておいた食料を戸棚から出し、布袋にいれる。あと、必要なものは──
視線をめぐらせていたら、ふと、それが目についた。
森番のいつもすわっている畳のうえに、布らしきものが落ちている。気になって近づいてみて、先日縫っていた上衣だとわかった。刺繍をし終えておいていったのだろう。
どんな模様なのかと好奇心にかられた。広げようとして、不自然な重みを感じた。
何か、乗っている。たたんだ上衣のうえに、こぶし大の小袋があった。中身をたしかめて、かなでは小さく声をもらした。
貨幣だった。袋につまって、ずしりと重い。
はっとして、上衣も広げる。袖口や裾に施された刺繍は、紅色で縫いとられていた。
森番の服は、しきたりで、どこかに緑を使うと決められている。だが、それがない。生成地に紅色の蔦模様が這っている。
「わたしの、服なの?」
では、この貨幣も?
森番はもとは都の姫君だ。貨幣などふれたこともなかっただろう。かなでもずっと森のくらしだったから、外ではお金がいることなんて忘れていた。きっと、前もって『村』の人間と交渉して手に入れてくれたのだ。
考えたら、胸がつまった。
胸にだきしめてから、袖をとおす。ちょうどいい大きさだ。その場で上衣を羽織って、貨幣の小袋もふところにしまう。
家の戸口で室内をふりかえり、かなでは森番の眠る寝室に深々と礼をした。
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