旅立ちの朝

6/14
前へ
/129ページ
次へ
 森の木々は知らんぷりをしてくれている。未明のこの時刻だけ、吉祥樹は浅い眠りにつく。そのまどろみの隙をついて、外にでようと考えた。知っているだろうに、静かに息を潜め、声をかけてくることもしない。  ちょっぴり、こころ細くなった。  木々が騒げば、吉祥樹が起きだす。だから、無言をつらぬいてくれているのはわかる。それでも、ほんとうは別れのあいさつぐらいしたかった。  吉祥樹も、この木々も、かなでの親だ。森番とともに自分を守り育ててくれた相手だ。外にでたら、生きて帰れるのかどうかもわからない。  ──そんな弱気を言ったら、みんな怒るだろうな。  森番もきっと言うだろう。別れのあいさつなど、縁起でもないと。  沈黙する木々のあいだを早足に抜け、勾配を降りていく。朝露のおりた土はぬかるんで滑る。ぐっと踏みとどまってはみたが、たらたらとしているわけにはいかない。日が昇れば、吉祥樹が起きてしまう。  えいっとばかりに飛びおり、外との境に立って、かなでは深呼吸した。  外に出るのは、五年ぶりのことだ。  緊張した。両腕をあげて丹念に探る。いつもの境界はない。しこりに似た空気のかたまりも、いまはない。ごくごくうすい膜があるだけだ。  かきまわされた膜は水鏡のようにゆらぐ。むこうの景色がゆがむ。だが、さしいれた指先にさほど強い反発はなかった。むこうがわに突きでて、ひらひらと動いている。  いける。  さっと足をすすめる。顔がめりこむ。鼻と口がふさがれて、一瞬、息がつまった。無理に押し通ったら、泡のようにぱちんとはじける。  思わずうしろを確かめたが、膜はうわんうわんと大きくゆれながら難なく、また一枚に戻っていた。  かなでのからだはすでに外に弾きだされていた。  そろそろ……と、外にむきなおって、息をのんだ。  ──ざくろの森の外って、むかしもこんなだったのかしら?  よく憶えていないが、もっと明るい世界だった気がしていたのに。  白い闇だった。  肌寒さに身震いする。上衣を羽織ってきてよかった。からだが凍ってしまいそうだ。
/129ページ

最初のコメントを投稿しよう!

196人が本棚に入れています
本棚に追加