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翡翠ヶ丘の町並み。元は平坦であったろうこの土地は、幾多の地殻変動や天災により、小高い丘のような地形となったという。
以前はこの土地で、宝石である翡翠が採れたことから、この名前がついたそうだ。戦後の復興期に、この土地を買い取ったのは『月森 煌一郎(つきもり こういちろう)』という人物。
後に、彼はこの土地を、美しく住みやすい町並みへと発展させる。だが彼の功績は、なんといっても『学園都市』であると断言できる。
翡翠ヶ丘の中心、通称『Jade of Navel(ひすいのへそ)』と呼ばれている町の中心に、翡翠ヶ丘が誇る風光明媚なアカデミー機関、翡翠ヶ丘学園都市があるんだ。
一見すると、学園都市なんて珍しいと思うだろう。だが驚くことなかれ、この学園都市には『翡翠ヶ丘幼稚舎』に『小等部』、『中高一貫男子校』『大学部』と、紅一点である『翡翠ヶ丘女子学園』が、まるでひとつの街のように建ちならんでいるんだ。
学園の創立者である月森 煌一郎は、戦後この町の中心にひとつの学び舎を設立した。
その後、月森 煌一郎の子孫たちがその学び舎を大きくしていったわけ。現在は一族経営である『月森グループ』が、学園都市全体を運営している。
……とまあ、翡翠ヶ丘大学のパンフレットに書かれているわけだ。
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