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 翌朝は、気持ちの良い秋晴れの日だった。  聡は、「あのアパート」の前を通って、駅に向かう。  電車で二駅ほどの場所にある事務所に行き、ダスター、手袋類、各種のビニール袋、洗剤、薬品などの道具一式を、軽トラックに積み込んで出発しようとしたところで、「社長」が出勤してくる。  「社長」が、もともと経営していたのは、一般家庭向けに、パートさんを「お掃除レディ」として派遣する会社だった。しかし、景気の浮き沈みや、諸々の紆余曲折を経て、今では清掃は清掃でも、主に「特殊清掃」を請け負うようになっていた。 「あ、鮎川さん、すまないね」  短く、聡にそう声を掛ける「社長」は、すでに朝から、気の毒なほど疲れ切っている様子だった。 「ホント、ひとりでムリしないでさ、なんかあったら、すぐ電話して、行くから」と言う社長の言葉に頷きで応じはしたが、無論、聡としては、ハナからそんな気はなかった。 *  アパートの門のところで、大家らしき人物と依頼人の中年女性が、聡を待っていた。  件の一○二号室には、近寄りたくないのだろう。建物から離れるようにして、ほとんど道ばたに近い場所に立っていた彼らは、聡が到着しても、そこから少しも動こうとはしない。 「もう、いいですから、なんもかんも、捨ててしまってください」  依頼人が言ったのは、ただそれだけだった。  故人とは、外縁の叔父と姪という間柄だったらしい。 「御貴重品がある場合もありますけれど」  そんな聡の言葉に、依頼人が短く嗤った。 「……一千万も二千万も、札束が転がっているわけでもないでしょうから」 「いやいや、そんなこともあったとかって、聴いたことがありますよ」  少しでも空気を和らげようと、聡は冗談めかして応じる。  それでも、カチカチにこわばったムードは、微塵も変わることはなかった。  聡は、大家から手渡された鍵で部屋の玄関を開け、あらためて、ざっと、中の様子を確認する。そして、前払いで料金を受け取ると、さっそく仕事に取り掛かった。  以前に来たときと比べても、室内の様子には、さほど変わりはない。  ずっと閉め切られていて空気が淀んではいたが、異臭はなかった。パッと見た感じ、害虫の発生もなさそうだ。
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