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 一脚だけしかないダイニングチェアに座ると、神原は、冷えたままの弁当を、ごく機械的に口へと運んだ。終夜営業の近所のスーパーの棚に、いくつか売れ残っていたものから適当に買ってきただけで、特段、それが食べたかったわけでもない。  ――茉莉は、几帳面な女だった。そしてある意味、そこが魅力のひとつではあった。  だが神原には、ときに、それが行き過ぎた、ひどく神経質な振舞いに感じられることもなくはなかった。  裕也が生まれてからは、特に、そう思うことが増えた。  哺乳瓶の消毒や、離乳食の作り方。絵本の読み聞かせの速度。きっちりと決めたとおりでないと、茉莉の気は済まない。  そんな茉莉が、裕也の就寝時間を「八時半」と決めたのだ。一分だって、それを過ぎることなど、認めるはずもない。スカイプなど、無理に決まっていた。  裕也との面会は、月に一度だ。  これまでは、平日に取れた代休に、それこそ鉄博だの動物園だのに連れ出せたが、裕也は、今年から小学校に通い出した。  かねてより、茉莉が狙っていた中堅の私立学校だ。  もう、平日に遊びに連れ出すわけにもいかない。そうなれば、事件で土日がつぶれてしまうと、たとえ月一のペースでも、裕也に会うのが難しくなってくる……。  弁当を食べ終わり、神原はバスルームへ向かう。バスタブに栓をして、蛇口をひねった。  ジャケットを脱いで、首もとのネクタイを緩め、ふたたび、キッチンの椅子に座る。そして、スラックスのポケットから、スマートフォンを取り出した。  ――今週の土曜は確実に休めるから、日中、裕也と会いたい。  神原は、茉莉へと、一文だけのメッセージを送って、飲みかけのペットボトルに、ゆっくりと口をつけた。 *  爪の間にアルミ粉末が入り込んでいた。  ひどく気になって、ブラシで何度も指先を洗ったが、なかなか落ち切らない。  ――現場の状態がさほど悪くなかったからって、つい油断して軍手しかつけていなかったのは、マズかったな。  聡は、ひとり苦笑する。
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