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 その粉は、鑑識が指紋採取に使うもので、とにかく落ちにくい。現場の刑事たちにも、証拠品の管理・返却を行う警官たちにも、いたく評判が悪かった。  鑑識員として指紋を採取していた時には、自分が現場にまき散らした試薬や粉剤の後始末のことなど、正直、あまり頓着してはいなかったけれど……。  この仕事を――特殊清掃の仕事を始めて、警察の捜査終了後の部屋を片付けるようになってから、それらを綺麗に取り去るのが、いかに手間のかかる作業であるかということを、聡は痛感させられた。  化学反応だけで考えれば、なんらかの薬品を塗布することにより、理論上、それらを分解することは可能だ。しかし、そんな安直な方法では、建材や家財道具等を痛めかねないわけで、何事もそう簡単にはいかない――  指先に入り込んだ微細な粉のことは、いったん諦め、聡は、風呂に入ることにした。  ひどい現場の仕事の後は、繰り返し繰り返し、きりがなく身体を洗い、何度もシャワーを浴びてから、やっと湯船につかる。  「匂いが身体に沁みつく」ということなどありえないのだと、頭では解っていた。知識としては……。だが、感情は、気持ちは。やはりそう簡単にはいかないものだ。  しかし今晩は、そこまでの必要もない。ざっとかけ湯だけして、聡は、湯船に身体を沈めた。  今日一日、断続的に、聡の頭の中に浮かんでいたのは、神原のことだった。  肌の滑らかさも、筋肉の張りも、何もかもが。  三年近くも前のことだというのに、驚くほど鮮明に記憶が蘇る。  そして……。  再会した「あの夜」に、それを嗅ぎとって、聡は、すっかり思い出してしまっていた。  石鹸やアフターシェーブローションのかすかな残り香に混じりあう、神原の男の匂いを――  しっかりとした骨格の肩甲骨、鎖骨。上腕の筋肉。  くちづけて弄った固くしこった胸の尖り、膝頭。  そうやって、全身、余すところなくくちびるを這わせても、神原は、まるで抵抗する姿勢を見せはしなかった。  猛り、張りつめ始めた神原の男の証を、聡が口に含むまでは―― *
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