予兆

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 ――鮎川(あゆかわ)(さとし)は、その匂いに気が付いてしまった。  ちょうど夜七時を回ったくらい。帰宅が夜中近くなることも多い聡が、こんな時間に家路につくのはめずらしいことだった。  勤め帰りのサラリーマンらしきスーツの人影が、うつむきかげんに、そして足早に、聡の脇を通り抜けて行く。いつもの帰宅時なら、自分以外にほとんど人通りのない道だ。  聡は、歩調を緩める。  十月も近いというのに、空気はまだ夏の熱気をはらんでいた。その中に、ごくかすかだが甘ったるい独特の匂いを、聡の嗅覚は感じ取る。  先ほどから、数人の人間がここを通り過ぎて行った。聡以外の誰も、この匂いには気づいていないのだろう。  一歩一歩、確かめるように進み、聡は、ある古い集合住宅の前で立ち止まる。  ――じきに、「甘ったるい」どころの匂いではなくなるだろうな。  そんなことを考えながら、聡は、褪せたジーンズのポケットから、スマートフォンを取り出した。
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