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 なのにその男は、どこかしら少年めいた印象すら与える佇まいを醸し出している。でもやはり、背負うものは、決して若い無邪気さではなく。  それはあたかも、諦念と紙一重の、ひどく落ち着いた穏やかさだった。 「鮎川さん……?」  思考よりも先に、神原のくちびるが、そう動く。  呼びかけに応じ、聡がふと、顔を上げた。 ふたりの視線が出会う。  聡が、静かに微笑んでゆっくりと立ち上がった。ジーンズの腰を、軽く手で払う仕草をして、神原の方へと歩み寄る。 「やあ、神原、久しぶり」  そして聡は、ちらと神原の腕章に目を向けた。 「そうか、一課が来るようじゃ、やっぱり検視の結果……」 「じゃあ、鮎川さんが通報されたんですか、死体もご覧に?」  神原に問われ、聡は、「ちらりと見ただけだよ」と、軽くくちびるを噛む。 「鍵を開けてくれた巡査、ご遺体は初めてだったみたいだし、成行きで色々……」  聡が向けた視線の先には、制服警官がパトカーの陰に隠れるように、うずくまっていた。 「ご遺体、まだ全然、綺麗な状態だった。索条痕も、かなりはっきりしていて」と言いかけて、聡は、「違った……『索条痕らしき鬱血の痕』だね、一(いち)鑑識員が、そんな断定を口にすべきじゃないな」と言い直す。 しかし、またすぐに苦笑めいてくちびるを噛むと、聡は、深い溜息を洩らした。 「ああ、僕も馬鹿だな。もう自分は、『一鑑識員』ですらないっていうのに……」  どう返事をしたらいいのか、何も言葉が思いつかぬまま、神原は、聡と同じように、微笑を浮かべてみようとする。だがそれは、くちびるの端をわずかに歪めただけのものに終わった。  そもそも神原は、聡に、どんな顔をして見せればいいのか、まるで解らずにいたのだ。  さっきから――  聡の姿を見てからというもの、神原は内心、冷静さを失っていた。鼓動は、耳の奥で、激しく脈打つ音が聞こえるほどに早まって、指先も、かすかに震えていたかもしれない。 「聡?! おい、聡なのか?」  気を張ったような、だが、少ししゃがれた声が、聡を呼ぶ。  聡は神原から視線をそらすと、声の方を向いた。神原もつられて振り返る。  本庁の鑑識が到着していた。  聡を呼んだのは紺のつなぎの一群の中でも、一番年嵩のごま塩頭の男だった。
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