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*  かつての上司である坂崎と、二言、三言、声を交わした後、聡はふたたび、建物の塀の窪みに、所在なく腰をかける。そして、目の前を行き来する刑事たちのえんじ色の腕章や、紺地に黄色のロゴが入った鑑識員のツナギの背中を、ぼんやりと眺めやった。  左手首の腕時計を見る。  国産メーカーの古い代物で、何度も電池を取り換えて、大学時代から、それを使い続けていた。文字盤の蛍光塗料は、もうすっかり褪せてしまっていて、ほとんど機能していない。  遺体を発見してから、かれこれ一時間は経っていた。  所轄からの事情聴取は、一通り済んでいたが、聡が解放される気配は、未だなかった。 *  高校生の少年のように、つるりとした頬の巡査が、合鍵を手に、管理人室から戻ってきた時――  聡が一緒に部屋へと上がりこもうとすると、一応、口先ではそれを制したものの、巡査の顔には、安堵の表情が浮かんでもいた。  手前に台所と板の間、奥に畳の六畳間。二間の仕切りの引き戸の陰。  敷布団の上、不自然な姿勢でうつぶせにうずくまる「もの」を見た瞬間、声が裏返るほどの悲鳴を上げて跳びすさったのは、聡ではなく、若い巡査の方だった。
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