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「美沙……どうして? まだ病院じゃなかったの?」
目を見開いたままそう言った春樹の表情は蒼白だった。
「ええ。2日ほど退院を早めてもらったのよ。経過が良かったから」
あれほど求めていた少年を目の前にしているというのに、春樹の中に、美沙の回復を喜ぶ余裕がないことを悟ると、美沙はどうしようもなく心が冷えて固まっていくのを止められなかった。
「そう……。良かったね。退院おめでとう。……ごめんね、毎日顔出せなくて。ちょっと……友達と遊んでたもんだから」
そう言って春樹はぎこちなく微笑んだ。
「いいのよ。毎日来ることないって、私が言ったんだもの」
「うん……。あの、携帯も、ちょっと調子悪くて、メールちゃんと読めてなくて」
「いいって言ってるでしょ」
美沙は静かに言ったつもりが、春樹はそれにビクリと震えた。息を飲むのが美沙にも伝わってくる。
この少年はどうして嘘ばかり吐くのだ。どうして少しも本心を見せようとしないのだ。
美沙は沸き立ってくる悲しみと怒りで、足元から崩れ落ちそうだった。
「あと2日は休みにしてあったんだし、あなたがどこで誰と遊ぼうと自由よ。だけどね」
美沙はデスクの横に立ったまま、やはり同じように2メートル先に立ちつくしている春樹を真っ直ぐ見つめた。
「仕事と称して勝手な行動を取るのはどうかと思うな。もしも春樹一人の時に依頼が入ったのなら、私か局長に相談するべきでしょ? 違う?」
美沙を見つめる春樹の瞳が頼りなさげに揺れた。琥珀色の瞳は更に薄く色を無くし、美沙を見つめているのか、その向こうを透かして見ているのか分からなかった。
「この依頼の説明をしてもらえる?」
美沙が、藤川咲子の依頼書をデスクの上にヒラリと置くと、春樹はただボンヤリそれを眺め、やっと口を開いた。
小さく、こぼれ落ちるような力のない声だ。
「それはもう、捨ててください。もう……必要ありません」
「調査報告書は?」
「いいんです。その仕事はキャンセルになりました」
「そんなこと無いはずよ。藤川咲子さんは、ちゃんとあなたにやり遂げてもらったって言ってたから」
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