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「ご依頼ですか?」
春樹はその少々無礼な物言いの女に、努めて冷静に返した。
「あら、やっぱり探偵事務所で間違いなかったのね。よかった。可愛い坊や一人だったんで、学習塾にでも入り込んじゃったのかと思った」
女は玉虫色のラメの入ったロングスカートを揺すり、ぽってりとした唇をゴムのようにひき伸ばして笑った。
どこか陰気な笑いだ、と春樹は感じた。ムスク系の濃厚な香りが、部屋の中に広がってゆく。
苦手だな。
春樹は一瞬、本能的にそう思ったが、依頼人ならば大事なお客様だ。丁寧な対応をしなければ、と春樹は背筋を伸ばし、女を応接用のソファに座らせた。
「所長の戸倉は暫く不在なので、実際の業務は休止中なんですが……。もしお急ぎでしたら、本社の方に取り次がせていただきます」
「あら、坊や、本当にここの社員さんだったの? こっそり入り込んだ学生さんじゃなくて?」
「……いえ」
春樹はムッとする気持ちを抑えて自分の名刺を差し出した。
実際の年齢よりも、自分の外見が幼く見えることを春樹は充分承知しているし、今までにも春樹の若さに、『大丈夫なのか?こんな子供で』といった渋り顔をする依頼人は多かったので、別段気にもならなくなっていた。
しかし、こんなにあからさまにそれを口にされたのは初めてで、そこに含まれる僅かな嘲笑が、少々春樹の癇に障った。
「天野春樹君……か。いい名前ね。じゃあ、春樹君に調べてもらっちゃおうかな。別段急がないし」
女はトロンとした目で正面のソファに座る春樹をじっと見つめた。ムスクでは隠せない、アルコールとタバコと生活の匂いが重く春樹の周りに漂った。
「この鴻上支社では行方調査専門にしています。それ以外の調査でしたら、本社扱いになりますが……」
「それなら問題ないわ。人を捜してほしいのよ。男の人」
「そうですか」
言いながらも春樹は、断る理由をどこかで探している自分に気付き、戸惑った。
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