第32話 眠る少女

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ミカが意識不明になってからずっと、悪い夢ばかり見る。 ミカが長い間眠り続ける夢を。そして、そのまま帰ってこなくなる夢を。 夢の中でアキラは、歩いていくミカの背を追いかけ、必死に走る。 『待て、ミカ!行くな! “そっち”に行くな!』 なのに、その背には追いつかず、それどころか走れば走るほど距離は離れていく。 『行くな……っ!ミカ…ミカっ!!』 「ミカ…………っ!!!」 二ヶ月前から始めた一人暮らしの寝室に自分の声が響く。悪夢を振り払うように飛び起きると、びっしょりと汗を掻いていた。 クーラーは効いているのにジメッとした蒸し暑い熱気と汗で濡れたTシャツが背中に貼りついて気持ち悪い。 「夢………?」 そうか。夢か……よかった。 そうだよな、あいつがいなくなるわけないよな。 そう言い聞かすように思っても、人が簡単にいなくなるということは重々知ってる。 龍や聖に言われて初めは摂っていた食事と睡眠も、三日を過ぎると摂れなくなった。 腹はすかず、用意された食事も口をつけなかった。横になっても眠れず、結局一睡もしないまま夜が明ける。それの繰り返しだ。 汗を流すために風呂に入る。 冷たいシャワーは頭を冷やすのにちょうどいい温度だった。 なのに、自分の体は震えている。 自分がまだこんなに弱かったとは思わなかった。 情けねぇ…。一番不安で恐ろしいのは俺じゃねぇだろ。 ミカが刺されたその日、アキラは聡美に会いに行った。当然、面会時間は過ぎているが、そこは権力を行使した。 伝えた時の聡美の驚きと恐怖、絶望の顔を一瞬にしたあの表情は忘れない。一生、忘れてはいけない。 そして、机に手をつき頭を下げて謝罪したアキラに、聡美はただ優しく言った。 『神津さん、顔を上げてください』 『………いえ』 『顔を…上げて』 まるで、に聞かすように聡美は言う。 拒否をしたアキラに聡美は『お願い…』と切ない声で懇願する。 ゆっくりと顔を上げたアキラに、聡美は微笑んでいた。 『大丈夫よ、あの子は大丈夫』 『…え?』 『あの子はそんなに弱くないもの。 小さい頃、よく酸欠で意識不明になったり、頭を打ってケガしたり、何度も死ぬんじゃないかってヒヤヒヤさせられたけど、ちゃんと戻ってきた。 だから、大丈夫。あの子は必ず、目を覚ますわ』 その時の状況を詳しくは知らない。けれど、今回は違う。 医師からも危ない状態だと言われた。 やることはやった。後は本人が持ち堪えるかどうかだと。 『どうして?って、顔してるわね』 『い、いえ…その……』 言い当てられて言葉に迷う。 人の死に大丈夫だという絶対な確証などない。 巻き込まれるわけがない。そう思っていても、〝突然〟は、言葉の通り唐突にやってくる。誰にも自分の身に起きる万が一のことなど予知はできない。 『だって、あの子は私の子だもの』 そう言った聡美の瞳は、とても強かった。 本気で大丈夫と信じていた。 ────ああ…、やっぱり同じ瞳だ。ミカの強い瞳と。 どうして二人は、こんなにも強いのだろう。 『…だから、あの子が目を覚ましたら──』 もう二度と関わるな。 そう言われると思っていた。言われて当然のはずだった。 聡美に会いに来るまでの間も考えていた。 自分(ヤクザ)と関わりを持つ限り、ミカの意志とは関係なく、ミカは巻き込まれていく。そのしがらみから抜け出すには関わりを絶つしかない。 それでも、すべての因縁が消えるわけではない。しかし、少なくとも今よりはマシになる。 二度と見れなくても、お前が笑っていてくれるなら。二度と会えなくても、お前が幸せでいてくれるなら。 普通の家庭を持ち、安全な場所で過ごし、危険などないようなところで子供を育て、生きていてくれるなら。 それ以上に望むことは何もない。……───何も、望んではいけない。 『あの子をよろしくね』 予想と正反対の言葉に目を瞠る。 自分の娘に、何よりも大事に想っている娘に、ケガを負わされ、危険に晒し、まさに今、命の危機に遭っているというのに、なぜその元凶である自分に頼めるのか理解ができなかった。 『どうして……、どうして俺に頼めるんですか……? 俺は、あなたとの約束も、あいつのことも、何も……、何も守れなかったのに……』 『だからよ』 さもあたり前のように、彼女は言った。 『他の誰か知らない人に任せるより、あなたが一番信頼できるから。 昔からずっと、あの子のことを想ってくれてるからよ』 『…………!!!?』 聡美から紡がれた言葉に、自分が一番驚愕する。 嘘だろ、周りにバレるほどバレバレだったのか………? 周りだけが気付いてて、自分自身で全く気が付いてなかった俺って………。 心の中で頭を抱えてうなだれる。 自分の気持ちに気が付いたのは、最近だったということは恥ずかしくて言えるはずもない。 穴があったら入りたいという気持ちは、きっと今の状態のことをいうのだろう。と、したくもなかった体験を身を持って思い知る。 『あの子の母として言わせて? 今も、そして昔も、…ずっとあの子を想ってくれて、想い続けてくれて、────ありがとう』 聡美は、深く深く頭を下げお礼を言う。
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