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ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。
まただ。。。
2階へ上がる階段の壁を、叩いている。
祖母89才。
昭和時代の二世帯住居の1階で暮らしている。
2階で暮らす家族に聞こえる大きな声を出せなくなったので、
何かあると、壁を叩くのだ。
誰かが気づいて顔を見せるまで、叩き続ける。
満ちるは、ため息をつきながら、今日は怒らなくてもすむよう祈りながら顔を出した。
満ちる、44才。
訳あって無職だ。それも、何回目かの。
この時代、一度正規職員のレールを外れてしまうと、まともな道へ戻るチャンスは少ない。
女ならなおさらだ。
「今回は下積みから始めて、経験を重ねてステップアップする」、なんていう目論見は40才過ぎたら難しいだろう。
若い間は、がむしゃらにがんばることもできたし、そういう気持ちをどんなことがあっても持てた。
「よし、次はいいことがくるから、そういういいことをこっちから迎えにいく」とか
「今度はこれを目標にして、それを叶えたら次はこうする」
気持ちだけで、人生をサーフィンできたのだ。
いつだって夏で、サーフボードは、少々傷ついてても、ちゃんと活躍してくれた。
心の力で、弱った自分を立て直せたのだ。
それが40代に入った頃から、体の疲れが取れにくくなった。
白髪も見えてきて、「これは若白髪」、なんて思える余裕はなくなった。
いつも悩みを抱えた心をかばうように、肩がすぼんでいる。
「悲しみの形が体についちゃう」
満ちるは鏡をふと見た時に気が付き、愕然とした。
「年取って背が曲がるって、単に若くなくなったからでなくて、悩みが増えるからなのかな」
いかん、いかん、マイナス思考はストップだ。
せめて、心だけは前向きにしないと、どっちを向いたらいいかわからない。
ああ、だけど、44才の特別な国家資格や継続した職歴もない女は、どうやって安定した基盤を手に入れられるんだろう。
探しても、もう無理なんじゃないか、と思うと、がんばる気持ちがどうしても持てずに、今度は「がんばれない自分」にも嫌気がさしてくる。
「この精神状態で、おばあちゃんと話すのは難しいなぁ」
祖母のもの忘れは年々進む。
老いは誰にでも、平等に来る。
いろいろな違いはあっても、皆、等しく受け取るものなのだ。
本人も、周りの人間も。
満ちるは、ため息を閉じ込めるように自室のドアを閉めて、階下に向かった。
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