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「あなたは私だけのモノよ」
女は膨らんだ腹を愛おしそうに撫でながら独り言つ。
「私以外のものは何も見なくていいし、聞かなくてもいいのよ」
低くもなく、高くもなく語りかける声は穏やかだ。
「ずっと大事に育ててあげるから」
形よく引かれたルージュが、唇とともにきゅっと釣り上がる。
「だから…私だけを…」
喉の奥で笑いを震わせながら、女は我が子の宿る腹をいつまでもいつまでも撫でていた。
子供は生まれ、代わりに女はその生命をとじた。
生み落とした自分の愛おしい子を…抱き締めることもなく。
やがて成長したその子は、母親の言の葉の通り、何者にも執着せず、他人と感情を交えず、ただひたすら生きていく。
どんな説得も彼の心を動かさなかった。
どんな相手でも彼の心は動かせなかった。
彼を動かせるのは、母の言葉。
潜在意識のもっと奥に焼き付けられた「執着」という名の愛情。
「私だけのモノ」
「うん」
「私だけ見てなさい。私の声だけ聞きなさい」
「うん」
今はもういないはずの人間。
自分を縛り付けて止まない、愛おしい母の言葉。
その言葉にだけ、耳を傾ける。
その言葉にだけ、従える。
その言葉にだけ、安堵する。
だから目覚めない。
目覚めたら彼の世界は安寧でなくなるから。
もし言葉が届かなくなったら、彼はどうするのだろう。
眠りの中だけが、彼の世界。
産声を上げて、生きている証を世に知らしめると、彼は自ら眠った。
その瞳は開くことなく、眠り続けて、自分と母以外を気にすることもなく…。
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