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「隼人君さ、さっきの本、お母さんに買ってもらったって言ったよね、お母さんとはよく出かけるの?」
隼人は、少し開いていた口を閉ざし、下を向いてしまった。
「あんまり出かけない、お母さん仕事してるから」
隼人の静かな声は、私の耳には何十倍と大きく入ってきていた。
「そっかー、でも、お母さんが休みの日は?どこかに出かけたりしない?」
「出かけない、お母さん、学校が休みの日も仕事してるから、一緒にいる時間が余りないんだ、仕方ないけどさ」
私は、口の中が痺れるような感覚を感じながらも、聞きたいという衝動に、口の動きを任せていた。
「そうなんだ、じゃあ、お父さんは?お父さんとは出かけないの?」
少し、声が震えていた。三崎口にいる私は、あいつと一緒にいるのだろうか。
隼人は、頭を横に振った。
「お父さん、いない、お母さんと、おばあちゃんの三人暮らし」
耳の中に、キーンと、耳鳴りが伝わっていった。
「そうなんだ、なんだかごめんね、つらいこと聞いたね」
「別に、お父さん、僕が生まれたときからいなかったから、お母さんが言ってた」
私は隼人を見つめながら話を聞いていたが、段々と耳や口の中が痺れてきて、隼人の会話もまともに聞けなくなっている。
察するに、十年後の私は、実家に出戻りしたシングルマザー、子供の養育費を稼ぐために、ほとんど家を空けているらしい、仕事が忙しすぎて、あまり子供とも遊んでいないらしい、これが、私の十年後、そんな私は、満足しているのだろうか。
「そう、なんだ、一人で家にいて、寂しくない?」
隼人は、下を向いたまま、少し首をかしげた。
「家にはおばあちゃんがいるけどね、たまに、畑仕事とかを手伝うんだ」
「隼人君が一緒に?それはえらいねえ」
隼人は、この会話中、ずっと下を向いたままだった。あまり思い出したくないようにもみえる。私は、この子にとって良い母親になっているのかな。
電車は弘明寺駅を通過して、上大岡駅に到着した。私は、隼人の気分を紛らわせようと、電車の話を始めた。
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