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「ねえ、今さ、暇してる?」
突然、見知らぬ女がそう言ってきた。
「あのさ、よければなんだけど、ちょっと付き合ってくんない?」
よければなんて言いつつも、女は僕の手をつかみ、ぐいぐいと引っ張ってくる。
「嫌だ」
「そう言わず」
「嫌だ」
「まあまあ話だけでも」
「ここで話せばいいだろう」
「そこはほら、ムードがさ」
どんなに拒絶しても、手を放そうとしない。だんだん抵抗するのもバカらしくなり、僕は女についていくことにした。
「ありがとう! ああ、そういえば自己紹介してなかったか。私、川中沙耶。よろしく」
それが、沙耶との出会い。僕が過ごしてきた陳腐な学生時代の中で、唯一輝いていたといえる出来事だ。
沙耶に連れられて向かった先は、演劇部の部室だった。
「連れてきたよ!」
引き戸を開けると、無駄にでかい声で言う。
部室にいた数人が、「うわ、マジで連れてきた」だの「殴られて終わりかと思ってた」だのと好き勝手言っていた。その中に、当時一年生だった由美子もいた。小柄で、こちらを少しおびえながら見ていたのが懐かしい。
「これで、文句ないね」
沙耶がニヤニヤしながら言い、部室の中央に置かれた机から台本を取ると、僕にそれを差し出した。
「はい」
意味も分からずそれを受け取ると、部室にいた人間が拍手をする。
「ようこそ演劇部へ」
「は?」
「清水君は、主人公のチャック・マクエイド役だから、頑張って」
「いやいや、意味がわからない。どういうことなんだ」
「うん? えっと、マクエイドはアメリカの探偵で……」
「そういうことを言ってるんじゃなくて、なんでいきなり入部することになってるんだ」
「そういう話だったじゃん?」
「初耳だ」
「そうだっけ?」
「そうだ」
「嘘…でしょ…。だって、あの時は……」
沙耶が目を潤ませながら上目遣いに僕を見る。
「帰る」
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