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読めない彼の表情が、その中にあるであろうものの存在感を嫌という程際立たせた。
「……分かった」
かたかた震える手でメールを作成する男の手を、すぐ傍でじっと見つめる青年。
やっとのことで送信ボタンを押した謝罪文は、弁護士会とそれから出版社へと。
送信完了の文字と同時に、男は声を上げた。
「送ったぞ!これでもう文句ないだろ!」
即座に鳴り響いたこの場におそろしく不釣り合いな軽やかなメロディが、確かにそれが届いたことを示している。
表示されたどこぞの出版社の名前を見せつけるように、男はそれを青年の鼻先に突き付けた。
「あぁ」
にっと不気味に笑う彼に思わず後ずさると、ふっと手から感触が消えた。
かしゃんと地面に叩きつけられた音を聞いて初めて、携帯が落ちたことに気がつく。
まるで手からすり抜けたような奇妙な感触に不思議に思いながらも、男はそれを拾おうと手を伸ばした。
伸ばしたのだが、
「……あれ」
そこにあるはずの携帯が何度やっても掴めない。文字通り手のひらをすり抜けてしまうのだ。
さあっと身体中から血の気が引いていく。
「嘘…だろ…」
「ざーんねん。時間切れ」
さぞおかしそうに、青年は顔を歪めて笑う。
「肉体がもたなかったんだね。あんたずっと、半分だけ幽体離脱してるような状態だったんだよ。……己の罪に耐え兼ねた哀れな弁護士は、その告白を遺書代わりにその命を絶ちましたとさ」
よくよく考えてみれば、ここに来る途中からだんだんと痛みを感じなくなっていったことに気付く。
おそるおそる振り返れば、そこには地面に倒れたまま動かない自分の姿。
「今さら気付いたってもう遅い。"罪を犯した者はその報いを受けるべきだ"……前にあんたが言った言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
青年は笑いながら闇の中へ溶けるように消えていく。
ふと彼は立ち止まり、くるりとこちらを向いた。
あぁそうだ、言い忘れたと呟きながら真っ直ぐ男の襟元を指差した。
傷だらけになって秤が消えた、ひまわり草の紋章を。
「あんたには、そっちの方がお似合いだ」
再び前を向けば、彼の姿はもうそこにはなかった。
誰もいない暗闇の中に、もう誰にも届きはしない叫び声だけが響いた。
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