第1章

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一 「あーあ、どうしてこんなトコいるんだろ……」という声は雄大な森林へと吸い込まれていった。その主たる少女はまるで、一日の引越しを追えた後のような表情で、ぽつんと切り株に腰かけている。周囲に人影はおろか、小動物の類も見えない。求めるべきその活気の声は辛うじて舗装された道路をこえた、高くそびえる壁の向こうに遠く、獣の気配は濃い緑にはばまれて散り散りに途切れている。  晴天だった。暑い盛りは終わり、日々に木枯らしが混じる中、それでも気候は太陽の熱を忘れていない。熱気を吸収し機械と人々の動力にでもしているような、商業都市・蘭紫餡(らんしあん)、その北門を出たところ数分歩けばすぐ、立ちはだかる紫山のふもとに広がる樹海があった。それを横切りさえすれば他の街、あるいは他国へと至ることができるのだが、少なくともその道は長く険しい。そのため、今では蘭紫餡を挟んで反対側の大運河と商路を利用する者しかいない。  だが、そんな険しい道の始まりに、件の少女は嘆息して座っていた。つい、と後ろを振り返ればうっそうと茂った足場の悪そうな舗装道が、それでも獣道よりはましとばかりに続いている。腰かける切り株のすぐ隣には、細い金属配管とありあわせの廃材で作った看板が、粗雑に悪路の行く先を伝える。 「もう、時間過ぎてるし……」  再び嘆息。少女は肩からかけた布鞄に、古びた懐中時計をしまう。どうやら待ち人は遅刻中らしい。昼時を告げるように、少女の背後の森から空燕(そらつばめ)の群れが飛び立ち、そびえ立つ山を目指す。羽ばたきと鳴き声は青空に広がっていく。 「はあ……いっそのこと、一緒に飛んでっちゃえればいいのに……」  どうやら、少女の今日の予定はそれほどまで気の乗らないものらしく、もはや空ろにすらなりかけている彼女の瞳には、ただどこまでも続く自然の蒼と碧が混じりあっていた。  ここからでもその様子が分かる蘭紫餡の北門はぴったりと閉じ、滅多に開かないことに不満をあらわにしているようだった。もし、少女の視力が樹海に棲む肉食二足獣と同様に優れていたのなら、通用口の門番が暇そうに欠伸をかみ殺すのを目の当たりにし、ため息の数が増えていただろう。
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