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すぐに言葉が出てこない。親父の隣で一瞬目を見開いた圭がすぐに笑顔になって,俺に大きく頷いた。
「っああ…わかった。待遇良くしろよ,俺,家族持ちだからな」
「…ふんっ」
親父は目の前の小皿に載った塩辛を箸でつまみ始めたが,なかなかうまくつまめそうになかった。
部屋に入ってきた姉ちゃんが,俺たちの表情を見て一瞬で事情を察した。親父のそばの全員が見える席に陣取り,親父のお猪口に酒を注いだ。
「乾杯しよ,父さんっ。誕生日とかいろいろめでたいからさ」
「…めでたいことなんかないぞっ」
「いいから,いいから」
姉ちゃんは自分のコップにウーロン茶を注いでる。ああ,まだ酒飲めないんだ。
「はい,準備はいいですか? え~,父さんの誕生日を祝いまして,それから山中家及び圭君が,これからも末永く健康で仲良く幸せに暮らせることを願いまして,乾ぱ~いっ!」
親父以外の声が上がる。姉ちゃんは親父の手を持ち上げて乾杯させる。親父は嫌がりながらも,姉ちゃんに手を委ねている。親父以外みんな笑顔だ。
「えっ,勇翔に戻ってこいって? じゃあ,父さん,引退する? もう66歳だしねぇ」
「馬鹿,こいつが戻ってきたぐらいでは,まだ引退できねぇや」
「そっかー,でもほどほどにね」
ぼんやりと親父を見ていた。親父が66歳って,マジ老人だよな。年老いた人間に,俺たちの関係を受け入れさせるのは,確かに酷なことだったかもしれない。こんな風に解決できたけれど,それは俺の家族の理解に頼っていたんだろうし。これで良かったのか,親父の額の深い皺を見ると,正直わからなくなる。
姉ちゃんはこの4月に4人目の子供を産んだ。『あたしが山中の子孫を残さなきゃって気を張ってたんだけど,自分は子供が多い程幸せを感じる女だったんだわ。勇翔には感謝してる』
姉ちゃんの言葉に嘘はないと思う。子供がもてない俺に,わざわざそう言ってくれた姉ちゃんにこそ感謝している。幸せだとは言うものの,やっぱり姉ちゃんにはすげぇ負担をかけたんだと思う。
「ね,勇翔…ちょっとあんた,聴いてるの?」
「え? あっ…」
「もうっ,これからは晩ご飯に積極的に圭君を連れてきてねっ。あんたが来れなくても,圭君だけでもねっ」
「ひでっ,圭がいれば俺は不要かよ」
姉ちゃんがぺろっと舌を出した。そんな明るい雰囲気の中,俺たちは山中の家を後にした。
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