ある晴れた午後

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 ごめんくださいよ、と玄関の引き戸を開け、三和土に入ると、ひんやりと空気が匂った。長男坊の嫁が、廊下の向こうから小走りでやって来る。 「どうも、御院家さん。きょうもまた、お暑うございますねえ」  里中の嫁さんは、膝をついて丁寧にスリッパを揃えてくれるが、遠慮して、そのまま上がらせてもらう。  仏間には、長男と三男とその嫁が座っていた。日曜日だが、孫たちの顔はないようだ。  智絵ばあさんと、先に亡くなったつれ合いは、なかなか熱心な門徒で、本願寺(ほんざん)さんで帰敬式(おかみそり)まで受けていたが。まあ、子供らが月参りにくるだけでも、近頃の家族にしては良くできた方だろう……。  ともかく。色々あったが、智絵ばあさんは御浄土に往生しなすった。もう、なんの心配事もありはせん。悩みがあるのは、生きている人間の方ばかり。  だがそれも、ちょっとのあいだのこと。死んでしまえば、みな、御浄土で仏さんだ――  座布団の前に座って一礼する。俊秀が風呂敷を解き、座の皆に経本を回した。さて。  南無阿弥陀仏(なんまんだぶ)、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。  南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。 *  里中の嫁さんが、儂と俊秀の前に、煎茶と水羊羹の皿を滑らせる。  本当にちゃんとした嫁さんだ。姑さんとも、ずっと上手くやっておって、ここん家(ち)のボンクラ長男坊には、本当にもったいない。  とりあえず、ありがたく茶だけ頂く。儂が口をつけると、後ろに座っていた俊秀も、ゆっくりと茶碗を手にした。  まあ、この喉の渇きを我慢して、キュッとやる冷えたビールの美味さもまた、格別なのだが、せっかくの厚意だ。茶碗に手も付けんわけにはいかん。  それに、茶飲み話がてら、親鸞さんの話のひとつでもせねば、坊主が来た甲斐もないということ。  ところがところが……だ。  衆生往生の話をしていたはずが、話題はどんどんそれていく。  なにせ、ここの嫁さんは、あの「智絵ばあさん」から、儂が小僧っ子の頃からの話を、色々と仕込まれているに違いなく……この分じゃ、風呂を覗きに行った話も、筒抜けになっておるかも知らん。まったく、御院家の威厳もなにも、あったものではない。
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