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第四部/担当編集×小説家⑪<6>
佐谷さんの部屋の枕は僕のものに比べると少し堅くて大きくて、でもだからと言って首が痛くなったりするわけではないから、睡眠の質も特に邪魔されることはないのだと思う。
目を覚まして起き上がった時にはもう時計は朝の七時を過ぎていて、夕食として作っていた食事は完全に『食べ損ねた』と言えるものになっていた。
「おはようございます、相楽さん」
ベッドから消えていた部屋の主はキッチンに立ちケトルに水を汲んでいて、僕の姿を見つけるとすぐさま笑顔をたたえて朝の挨拶を向けてきた。
僕はと言うと、佐谷さんを見つけたことで焦点を合わせるべく目を細める。お湯を沸かす為の手段。確か彼はヤカンを火にかけて使っていた筈が、新しく電気ケトルを買い足していて朝のルーティンが変わっている。僕が使っているものと種類は異なるが、あれは家電量販店でもよく見かける某メーカーの主流タイプ。色は佐谷さんの好みをよく表し、シックなグレーが選ばれていた。
「あれ? 相楽さん、眼鏡はかけなくていいんですか?」
寝室から現れた僕を見て真っ先に気付いたのは、やはりいつもかけている眼鏡の有無だった。かけるも何も、その眼鏡自体は昨日ソファで話をした後、佐谷さんに外されてからテーブルの上に置かれたままだ。きちんと畳まれて置いてあるのところに、彼の几帳面な性格が表れている。
ぼやける視界でその表情を何とか把握しようと、片方の瞼に曲げた指を宛ててもう一方の目だけで彼を見た。近くのものならある程度は分かるが、やはり少し離れていると見え辛い。しかし全く見えないわけでもないから、これくらいなら許容範囲だ。
「仕事でなければ、かけていなくても少しは平気です。それより佐谷さん、そのケトルは?」
「ああ、これですか? 実は前々からずっと買おうと思っていたんですけど、何だかんだと時間が経ってそのままになってしまっていて。でも、先週漸くネットで注文したんです」
「そうだったんですか」
「あ、相楽さんも飲みますか? もしかしたら使うかなと思って、ミルクと砂糖も買ってあるんですよ」
ケトルに入れたスイッチが沸騰のサインを出すまでの間、佐谷さんは調味料のストックから一杯分のミルクと砂糖をそれぞれ取り出し、二つのカップの横に並べてインスタントコーヒーのキャップを開けた。
これはこのまま座って待っていた方が良いのだろうか。
しかし、全てを任せてやってもらうのも何だか気が引けて落ち着かない。
そして何より、このまま何も触れずに時間が過ぎていってしまうのも状況的に少々困る。
自分の性格からしてタイミングを外せばきっと上手く言葉が出てこなくなり、聞きたくとも確認したくとも上手く切り出せなくなってしまうから。
「あの、佐谷さん」
大きな声を出さずとも互いの声がきちんと届くよう、開いていた距離を縮めて佐谷さんの顔が見える位置まで近付いた。
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