第四部/担当編集×小説家⑪<6>

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「相楽さん。良ければ髪、俺が洗いましょうか?」 「えっ、いいんですか? いや、でも、人の髪って洗い難いと聞きますし」 「平気です。学生の頃よく弟と一緒に入って髪から全部洗ってやっていましたから」 「佐谷さん弟さんがいらっしゃるんですか?」 それは全くもって初耳の案件だった。 兄弟がいそうなのは薄々感じてはいたけれど、まさか弟さんだったとはと驚きが予想を越えていく。 「あれ? 言ってませんでしたっけ?」 「聞いてないです。初めて知りました」 「弟だけでなく姉もいますよ」 「三人姉弟なんですか?」 「そうです。姉はともかく、弟は十歳離れているのでまだ高校生ですけど」 「そ、そうだったんですか」 ひとりっ子の僕からすれば、想像できない世界だと思った。しかも弟さんは随分と歳が離れていて、まだ学生さんだなんて。 もしかして通っている学校は佐谷さんと同じあの学校だろうか。制服も背格好も同じだとすれば、十年前と同じ姿がまたあの電車に乗っているということになる。それは何だか、とても感慨深い。 「弟も俺と同じバスケ部なんですよね」 「佐谷さんと同じ?」 「あ、ポジションは違うんですけど。あいつは俺ほど背が高くないので」 「佐谷さんはどのポジションだったんですか?」 「センターです。ほら、この通り俺は人より少しデカイので……本当は別のポジションが良かったんですけど」 「そうなんですか」 バスケについては僕は詳しくは分からない。五人一チームで得点を競うことくらいは知っているが、どこのポジションがどんな役割を担っているのかについては、レクチャーを受けなければ恐らくなかなか理解できない。 佐谷さんの言う『別のポジション』とはどこのことなんだろう。 聞けば納得するだろうか、または意外だと思うだろうか。 自分なりにバスケのことについて少し調べて詳しくなったら、また改めて聞いてみることにしよう。そうすれば今よりもっと佐谷さんの話に興味を持てるし、彼をより理解することもできる。 「ちなみに弟さんは、どこの」 「あいつは一番の……あっ、ポイントガードって言うポジションです。機動力と判断力が必要とされる場所で、俺とはまるで正反対です」 「一番って、一番上手いってことですか?」 「いえ、そういうわけではないんですけど、……でもある意味、そういう考え方があっても間違いではないかもしれません」 「……? 難しいですね、バスケットボールって」 「良かったら今度、観に行きますか?」 「えっ?」 思考を整理させる為に頭を少し下げていると、佐谷さんが意外な提案を差し出して来たので僕はすぐに顔を上げた。 「丁度近く試合があるんです。インターハイって言うんですけど、今年も都の代表で出るって言ってましたよ」 「と、都の代表ですか?」 「そうです。俗に言う、全国大会というやつです。俺が居た時からうちはとても強かったので。監督が物凄く怖いんですけどね」 学生時代を思い出しているようで、佐谷さんは悪戯っぽい笑みを浮かべながら『怖い監督さん』の物真似をして僕に当時のことを教えてくれた。 佐谷さんでも怖いと思う監督さんとは、いったいどれ程怖い人なのだろう。学生時代の僕と言えば、特定の部活には入らずに放課後は図書室か自宅で物語を書くか、朝と同様に母の病院へお見舞いに行くか、そのどちらかの生活しかしてこなかった。
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