第一部/担当編集×小説家⑥<2>

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「眼鏡、いつものはどうしたんですか?」 「ああ。あれは仕事用です」 「仕事用?」 今日の相楽さんは、見た目がカジュアルな黒縁眼鏡をかけていた。 いつもかけているものよりフレームも太く、レンズの形が特徴的だ。 「仕事とプライベートで使い分けているんです。毎日同じだとメリハリがつかないので、気分を変えようと思って。今日のこれは、プライベート用です」 「そうだったんですか。全然知りませんでした」 「言ってなかったですよね。……似合わないでしょうか?」 「い、いえ、そんな! よく似合っていると思います」 「そうですか。なら、良かった」 黒縁眼鏡の相楽さんはいつもに比べるとやや幼く見えた。 年上相手に『幼い』なんて失礼かもしれないが、それ以外の適切な言葉が見つからない。仕事用のスタイリッシュでお洒落なデザインも良いが、フレームの太い黒のデザインもよく似合っている。 仕事用とプライベート用の眼鏡があるなんて今まで全く知らなかったけれど、今日の自分との待ち合わせに『仕事用』ではなく『プライベート用』を選んでかけて来てくれたことがたまらなく嬉しいと感じた。 プライベート用ということは、今日の俺は相楽さんにとって仕事相手ではなく知り合いということだからだ。 仕事相手というものは非常に距離がある関係だ。仕事以外の接点はなく、好きだろうが嫌いだろうが『仕事だから』親しくする。それ以上でも、それ以下でもない。 しかし、知り合いとなれば話は別だ。プライベートであれば気が合わなければ付き合わなくていいし、嫌いであれば相手にしなくていい。彼は社交辞令を言うような人ではないから、単純にプライベートでも俺に会っても良いと思ってくれているのだ。 眼鏡がいつもと違うだけ。他人から見れば、ただの些細な出来事だろう。 しかし、自分にとってはこんなにも感動することはない。 嬉しい。とても、嬉しい。泣きそうなくらい、とても嬉しい。
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