第一部/担当編集×小説家⑥<3>

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「僕はあなたが読んでいる小説に衝撃を受けました。それまでミステリーは難しく敷居が高いイメージがあり、高校生は手を出さないものだと思っていたのです。でも、あなたは毎日毎日そればかり読んでいた。読んでいる姿から、その本が本当に好きなんだという気持ちが伝わってきました。そうして思ったんです。ただ自分が書きたいと思うものを書くのではなく、物語の向こうに読者がいる、年齢を問わず沢山の人に「面白い」と思ってもらえる話を僕も書けるようになりたいと……」 俺は何も言えず、ただ黙って相楽さんの話を聞いていた。 相楽さんはカップに手を伸ばすと、ぬるくなったコーヒーを口にして喉を鳴らした。テーブルとカップがぶつかる音がやけに大きく感じた。 「僕にはずっと会いたかった人がいます。一人は亡くなった母。僕が小説家になることを応援してくれた大切な人。母がいなければ、まず僕はこの業界にはいないでしょう。そしてもう一人は、あなたです。僕に新しいジャンルへ挑戦する力を与えてくれて、自分自身に変化をもたらすきっかけをつくってくれた。今の僕があるのは、あなたのお陰です」 「相楽……さん……」 「佐谷さん。僕は今まで全く気が付きませんでした。こんなにすぐ近くに居たのに、あなたを頼るどころかロクに話もせず距離を取って。あなたは、心の奥で『また会いたい』と思っていた相手だったのに、僕は、ずっと……」 「ごめんなさい、佐谷さん―――」 体が無意識に動いていた。 こういう時、人は頭で考えるより体が先に動くものなのかと冷静に分析している自分がいた。 「……佐谷さん?」 相楽さんの体を俺は強く抱き締めていた。 背中に腕を回し、髪に顔を埋め、逃げられないようにまた少し力を込めて口を開いた。 「謝らなければいけないのは、俺の方です」 「え?」 もう、引き返せないような気がした。 彼がこのような告白をしてきたのなら、この話をするなら今のタイミングしかないと覚悟を決めた。 「俺はあなたの担当になった時、あなたに一つ嘘をつきました」 「嘘……?」 「あなたはそれをあっさり信じて、一切何も疑わなかった」 「佐谷さん……? どういうことですか?」 「前担当の宮部さんから俺に変わったのは世代交代。あれは、編集長と宮部さんの三人で考えた嘘です。本当は―――」 俺が、宮部さんからあなたの担当の座を奪い取ったんです。
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