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財布と端末だけを持ってここに来ていた。
僕はそのまま家へは戻らず、ほぼ手ぶらのまま駅へ向かって都心へ向かう電車へ乗った。
彼はきっと今日も遅くまで仕事に追われているだろう。出版社を出るのも日付が変わる前かもしれないし、家に帰ってくるのも何時になるか分からない。途方もない長い時間、慣れない場所でずっと待ち続けることになるかもしれない。
けれど、そんなことも含めて、今日は何でも受け入れてやろうという気持ちでいた。
帰りが遅いなら、何時間だって彼を待とう。
そこに帰ってくると分かっているのだから、僕が居続ける限りすれ違いになることもきっとない。
万が一不審者として警察に職務質問された時は……どうしようか。
事情を説明すれば何とかならないものだろうか。まさか警察署に連行されることはないと思うし、そうなった時はそうなった時に考えよう。
「……佐谷さん」
これまでに二度訪れている彼のマンションへの道筋は、もう完全に頭に入っていた。
電車を乗り継ぎ一時間ほどかかって最寄り駅へ到着すると、僕はかけていた眼鏡の位置を直して駅前の信号を渡った。
端末の画面が二十三時を表示しようとする頃、暖かかった昼間とは打って変わって外の空気はひんやりと冷たくなっていた。
マンションを囲う植え込みの前に立ち続けて数時間。住宅街の中にある僕のマンションとは異なり一人暮らしの学生や単身者が多く住むこの地域の特性か、こうして何時間も同じ場所に居続ける僕のことを気にする住人は誰もいなくて、心配していた職務質問も今のところ全く気配を感じない。
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