草海 空海

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「今日も、我が家に訪れる者が、少なくあるように」  家長の一声で、朝食が始まる。  中庭に設えられた低い露台には、厚手の大きな布がめいっぱい敷かれ、その上には朝の糧が並ぶ。  表面に芥子の種と胡麻を散らした、平たいパンは焼きたてだ。塩の入っていないバターを塗り、一欠けのチーズをくるんで口に運ぶ。香辛料と乳をたっぷり混ぜた茶が、まだわずかに残っていた眠気をぬぐい去った。 「レイムレイナさん、今朝は顔色が良くて安心しましたわ」  果物を切り分けていたこの家の娘、マグメアが、ミンニの母に微笑みかけた。 「おかげさまで、マグメアさん。今日は市にだって足を伸ばせそうです」 「無理はしないほうがいい。腰は一度痛めると、それがくせになりますからな」  黒く縮れた髭の下から、家長であるセルツパ医師が釘を差す。  ミンニの母レイムレイナはつい最近まで、腰の痛みで床についていた。父同様に医師であるマグメアの指導で、母に按摩を施すのもミンニの役目だ。  セルツパ医師の妻、リッフ婦人が、ミンニの茶碗に注ぎ足してくれる。 「ありがとうございます」 「たくさん召し上がって。これからやってくる夏のために、身体を整えておかなきゃですからね」  ふくよかなリッフ婦人は、医師として多忙な夫と娘に代わり、家の全般を取り仕切っている。彼女の大らかさに、自然と肩から力が抜けるようだった。 「……なにかお使いがあれば、私が行くわ」  小さくちぎったパンを口に運びながら、自主的に申し出た娘を、レイムレイナはうれしそうに見やった。なにせイェッツェンにいた頃は、かなわぬ恋にばかり神経をとがらせ、いつも陰鬱な顔をしていたのだ。太陽が完全に姿を消す季節になれば、一日中、床に伏すのも珍しくない。それがこの地へ来て、少しずつ変わってきている。  やはり、思い切って故郷を発って良かった。いくら悩まされたとはいえ、大切な一人娘なのだから。
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