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お還り
こんもりと皿いっぱいにシチューを盛って、彩子はすとんと席についた。
俺が頼んだおかわりにも関わらず、ガツガツと勢いよくシチューを食べ始める。
「お、おい……」
さっきまでの優しい笑顔の彩子はもういなかった。眉間に深いしわを寄せ、頬をピクピクと強張らせ、黙々とシチューを食べ続ける。彩香を怒っている時の同じ表情だ。
「ごめん、落ちてよかったは言い過ぎだった。彩子があんなに望んでたことだったのに、辛いよな」
カチャン、と空になった皿にスプーンを落とし、彩子はこちらを見た。
瞳の奥が鈍い光を放っている。ゆっくりと微笑むその口元には、シチューがべっとりとまとわりついていた。
「大丈夫よ。またいちから頑張るから」
「そ、そうだよな。二年保育の幼稚園だってあるし、来年受かれば……」
「そうじゃなくて」
「え?」
「いちから彩香を育て直すのよ。なぜ失敗したかはよくわかったから、次は出来ると思うの」
彩子の言葉の意味がよくわからない。
だが、妙な胸騒ぎがする。
俺は席を立った。
「あなた、どこ行くの?」
「まだ、彩香にただいまを言ってなかったからさ。寝顔を見に行こうと思って」
突然呼び名が変わったこと。わざわざ、ビーフシチューをブラウンシチューと言い直したこと。彩子は湯冷めして体調を崩してはいけないと、夕食前には彩香と入浴を済ませるのに。
「彩香は部屋にはいないわ。それに、あなたが声をかけるなら、ただいまじゃなく、おかえりだと思うの」
「……どういう意味だ?」
「あなたも食べたでしょう? 彩香は、かえったのよ。産まれる前に」
そう言って、彩子は愛おしそうに自分の腹をさすった。口の周りのシチューをペロリと舌で舐めながら。
俺は襲い来る吐き気を抑えながら、彩香の部屋へと駆け出した。
乱暴にドアを開けると、鉄分と据えたにおいが一気にあふれ出し、こらえきれず嘔吐する。ビチャビチャと床に落ちた嘔吐物は、既に染み込んでいた赤黒い液体と混ざり合った。
血で染まった部屋に、彩香の姿はなかった。
ペタリ、ペタリと彩子のスリッパの音が近づいてきている。
逃げたいのに、足が震えて動けない。吐き気が止まらない。
足音は止まり、包み込むように背後から抱き留められた。
「さ、あなた。早く二回目の彩香を作りましょう」
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