碧へ──敗戦前

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 木々の枝葉が交差する隙間から、真昼の陽光に容赦なく狙撃される。三八式歩兵銃を構えた格好で、身じろぎもせず、地べたに()いつくばる背を。両腕は(しび)れ、両脚は硬直したまま、じっと銃口の先を睨んだ。状況は動かない。絶え間なく、ばらばらに切り取られた蒼穹(そうきゅう)の断面を通じ、遠くあるいは近くから、虫が立てる音と獣の()き声に混じって、米軍機の爆音が不気味に(とどろ)いて聴こえてくるだけ。  暑い。とにかく()だるような暑さにみな心身ともに参っていた。強靭(きょうじん)なる無敵皇軍といえども、連日連夜の攻防にくわえ、同様につづく酷暑と飢えに襲われてはひとたまりもない。疫病に繰り返し冒され、常に躰は微熱を帯び、慢性的な徒労感が部隊に蔓延していた。気怠(けだる)い。終わりの見えない惰性の毎日に、肉体も精神も、日々刻々と着実に()み痩せ衰えていく。  だが油断してはならない。けっして隙を見せるな、いつ敵軍兵士の銃弾や砲弾や爆弾が飛んでくるともかぎらないのだから。目を凝らせ、耳を澄ませ、緊張と恐怖が熱となって血をたぎらせ、頭のてっぺんから足の先まで体内の隅々を駆けめぐる。ぎしぎしと、骨が軋むようにしたたか喰いこむ。銃を持つ手に徐々に力が入るにつれ、どちらの表面にも強い圧迫がぎしぎしと。  頭をからっぽに。頭のなかをからっぽにすればよい。よけいなことは何も考えず、ひたすら躰中を全部からっぽにしてしまうほうが。そうすることで異変をすぐさま察知できる。どんな緊急事態にも、自動的に、素早く反応し対処できる。そう、戦闘機械として冷徹に、完璧に。  死ぬ覚悟はとうにできている。否、それは覚悟などという生半可な心持ちではない。至上命令、決定事項なのだ。個人のちっぽけな、中途半端な意志や考えや感傷などだから、絶対的な力の前では無意味に等しい。  嘆き哀しむことはだから微塵も必要ない。心配しなくてよい。つとめは果たす。やり遂げる。()られる前に()る。銃を持つ両の手は、だから震えはしない。  大日本帝国軍兵士井ノ上(いのうえ)(まこと)陸軍一等兵は必ずや生きて帰還する。
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