3人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
蝉の声のする玄関で僕は靴を脱いでいた。
まだ脱ぎ終えないうちに背後からおじさんの微かな音が聞こえた。
「チャチャが見つかって・・・・・・今、部屋にいるんだが」
「えっ?」
外からの光で薄暗く映った、物憂げそうな彼と一瞬だけ目を合わせた。
それと同時にもう片方の靴を脱ぎ捨てる。
「文弥。そう慌てなくても、チャチャはもう逃げないよ」
一週間前に飼い猫のチャチャが脱走し、行方不明になっていたのだ。
そんなおじさんの言葉に構わず、僕は廊下を走った。
「文弥、待ちなさい!まだ話が・・・・・・」
けれども足は止まらず、廊下に響くおじさんの声を背中で聞いていた。
その背中にあるはずの、黒いランドセルの重たさも感じないほどに。
顔に流れる汗も、この湿った空気も、途切れる息の苦しささえも忘れて。
洗面所も台所も通り過ぎ、居間へ向かった。
「お母さん!チャチャが見つかったんだって?」
いつもいる白いソファーにチャチャの姿は見当たらなかった。
窓際に置いてある扇風機の風が僕の顔を掠め、視線を向けた前に背を向けた母が座っている。
「チャチャは?どこにいるの?」
僕の質問に答えるように、母はそっと横へ移動した。
扇風機の前にダンボール箱が置かれている。
この中に違いない、と僕は床を滑るように進んで四角い箱を覗いた。
そこには茶虎模様の彼女が丸まっている。
「チャチャ!」
いつものように僕は彼女に触れた。だが、すぐに異変に気づいた。
あの柔らかくて温かかった毛が、今は剥製のように固く、冷たいのだ。
「病気だったらしいの・・・・・・それで、チャチャは死ぬ場所を見つけに逃げたんじゃないかって・・・・・・秀夫おじさんが駐車場で・・・・・・発見した時にはもう・・・・・・」
よく見れば、母は泣いていた。
僕はもう一度ダンボールの中のチャチャを眺め、眠っている時と何も変わらない彼女をそっと持ち上げた。
人形のように無機質で、艶のなくなった毛に顔を埋めて僕は彼女に言った。
「チャチャ、おかえり」
それは僕が小学6年の時の、夏休みを迎える前の小さな出来事だった。
最初のコメントを投稿しよう!