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「さあ、もう一回、あの絵を観てから帰ろうっと」
そして彼女がお気に入りの絵を堪能し、漸く会場を後にしてから、一人の男性が入札受付の机に背後から近づいて声をかけた。
「すまないが。ちょっとその箱の中を、見せて貰えないだろうか?」
「はぁ? 入札箱の中身を、部外者に見せるわけ無いだろ? 何を言っ……、ラッ、ランディス殿下!? 失礼致しました!」
「こちらにおいででしたか、申し訳ありません!」
椅子に座ったまま身体を捻り、背後の人物を恫喝しようとした担当者は、自分達の上役兼、この芸術展の主催者の一人である第二王子の姿を認めて、真っ青になって立ち上がった。並んで座っていた同僚も慌てて立ち上がる中、ランディスは鷹揚に笑いながら二人を宥める。
「いや、不正を取り締まる為には、当然の対応だ。礼を逸してなどいないから、安心して座ってくれ」
「それでは、失礼いたします」
申し出に従って顔を見合わせた二人が腰を下ろしてから、彼は改めて要求した。
「それで、先程若い女性が入札した絵に関して、ちょっと確認したい事があってね。君達の倫理規定に反する事は分かっているが、箱の中に集まっている申請用紙を確認させて貰えないだろうか?」
「主催者のお一人である殿下でしたら、問題は無いでしょう。少々お待ち下さい」
「すまない」
そして先程用紙を受け取ったばかりの担当者は、さすがにどの用紙かを覚えていた為、すぐにそれをより分けてランディスに向かって差し出す。
「こちらかと思われますが」
それを受け取ってしげしげと眺めた彼は、すぐに穏やかな笑顔で相手に返しながら、礼を述べる。
「……分かった、ありがとう。邪魔をして悪かった。仕事を続けてくれ」
「はい」
そして机から離れて再び奥の控え室に戻りながら、彼は苦笑しながら呟いた。
「随分、悩ませてしまったみたいだな……」
それは書き込まれた金額故の台詞だったのだが、彼はそこで無意識に足を止め、背後を振り返った。
(彼女の名前……、リディアと言うのか)
その偶然の出会いが、それから起こる騒動をより大きくしてしまった事など、まだ誰も気づいていなかった。
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