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──────携帯を離せ、離せよ!
分かっていても、身体が動かない。
蛇に睨まれたカエルとは、このことか。
相手は目の前に居ないのに。
「元気そうだね、御薬袋くん」
何百回と電話で聞いた、この声。
名前を呼ばれただけで身体が強張り、携帯を持った手が震え出す。
心臓が痛いくらいに暴れて、呼吸が上手く出来なくなる。
「俺のこと、覚えてるよなあ?」
嬉しそうな声が一変して、重圧的になる。
まるで、尋問されているみたいだ。
忘れたい、忘れない、忘れられない。
やはり忘れることなど出来ないのだ。
何百回と聞いてしまった、橘(たちばな)という人間の声を。
前の職場の上司の声を。
「おい、聞いてんのか?」
「……はい、……聞いてます」
操られたように答えが口から勝手に転がり出る。
あの日々のように、逆らえない。
携帯を耳から離すことも、黙ることも出来ない。
こんなにも苦しいのに。
「聞いてますじゃねぇだろ!俺のこと、覚えてるのかって聞いたんだよ!」
怒鳴られ、思わず、ビクッと身体が跳ねた。
それでも、答えなければならない。
答えなければ、また……。
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