第1章

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潮の引いた海沿いを、ひたすら歩く。 十和子は足を少し引くようにしながら、ゆっくりと進む。白い長襦袢が少し風に揺れている。彼女が歩みを進める度に、裸足の足跡が砂浜に増えていった。その跡を塗り替えるように、鬼塚もまた彼女の背中を追う。 「この村に伝わる伝承は、あの人から、祖父からお聞きになったのでしょう」 静かな波の音ともに、十和子の声が鬼塚の耳へと届く。 「漁師の網にかかった人魚は、漁師に命乞いをした。人魚を哀れに思った漁師らは、人魚を海に帰してやった。その恩返しに人魚の予言が津波から島の民を救った。実に美しい話でしょう。私、このお話大好き」 そう言って、彼女は楽しそうにころころと笑った。サクサクと砂の上を歩きながら、鬼塚を振り返る。彼女は無邪気に微笑んでいた。 「けれど、伝承はそれだけではないの。他にもたくさん存在するのです」 十和子はまた前に向き直り、波が打ち寄せ濡れることも厭わない様子で、淡々と語り始めた。 「ある日、男達がいつものように漁に出かけると、一人の人魚が網にかかりました。伝承を知っていた男達はたいそう驚いて、一晩その人魚をどうするか話し合いました。なんせ、人魚は死なずの生き物と言われていて、その肉を食べた者にも不老不死の力が宿り、またどんな病でも治すことができると信じられていましたから」 貴方ならどうなさる?と、そう尋ねられても、鬼塚は無言で返した。 「人魚は当然命乞いをしました。はらはらと涙を流して。溢れた涙は真珠になったといいます。その姿はあまりに美しく憐れを誘うものでした。男達は伝承通りに人魚を放してやることにしました」
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