第1章

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どこまで歩いただろうか。途中で岩場が突き出たようになっている所があった。上を見上げると、まさに断崖絶壁というに相応しい装いの山肌が見えた。 十和子はその岩場の隙間へと足を踏み入れる。鬼塚もやはりその後に続いた。 入り口こそ狭いものの、中は広く奥行きがあった。行き先は暗い闇が広がっており、どこまで続いているのかわからない程だ。 その中を、二人は灯りも持たずに進む。頼れるのは月明かりのみだ。岩肌に映った二人の影が、青白い淡い光の中でうごめいた。 「そうしてその美しい人魚は、島の人間の善意によって命を救われた……筈だった」 十和子は声のトーンを一つ下げて、そう言葉を不穏に滲ませた。 「…ここから先は月明かりも入らないので、灯りをつけますね」 そう言って、彼女は懐からマッチを取り出して、さりげなく岩肌に取り付けられていた燭台に火を灯した。 等間隔に現れるそれに火を順番につけながら、十和子はまたゆっくりと語りを再開した。 「海に引き返して人魚を解放してやる作業を、男達のうちの一人が買ってでました…『俺が海に放してこよう』と。その言葉を信じた他の男達が各々家に帰った後、浜辺に一人残った男は、網に捕まえられた人魚をまじまじと見つめ、そして…」 灯された燭台の炎が、不意に揺らめいた。 「隠し持っていた銛で、人魚の身体を貫いた。何度も、何度も、何度も。その生き物が動かなくなるまで。その生き物が息絶えるまで。声にならない声が上がっても、その腕を必死に絡め取られても、男は止めはしなかった。何度も何度も何度も何度も、銛で貫いて、最後は心臓を一突きにした。そしてついに人魚は動かなくなった」 血生臭い話をしてるにも関わらず、十和子の口調はあくまで穏やかだった。それがこの話の信憑性を欠くようでもあったが、反対にその語り口の生々しさはまるで自らの目で見てきたかのようでもあった。
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