第1章

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妻はすっかり意識も遠くなり、人間らしい表情は一切その顔から消えた。夫もこのままこうして妻は死んでいくのだと、最期まで世話をし看取ることを決めた。 「そんな彼女が、ある日突然豹変した」 妻の容態を聞きつけた村人達が、見舞いに来た日のことだった。彼らの姿を見て、妻の瞳に光が戻ったのだという。そして、久方ぶりに微笑んだのだと。 「夫は喜び勇んで、村人達をもてなすために漁に出て行きました。感謝を込めて、祝宴を開こうと考えたのです。そして、今なら妻も何か食べられるかもしれないと、そんな思いを胸に彼は船を出しました」 そうして男が大量の魚を土産に家に戻ると、そこには信じられない光景が広がっていた。 「家の中は血の海でした。見渡す限り転がっている、人間の死体、死体、死体。そしてその海の中に、一人だけ、妻が佇んでいたのです。口を赤く血で汚しながら…」 その姿はもう、すでに人ならざる者であった。 「人魚は本来、人を喰らう化け物だとして忌み嫌われていました。ありきたりな言葉で言えば、きっとそれは人魚の呪いだったのでしょう。妻は人を喰らわねば、生きれぬ身体になってしまった。その場面に居合わせてしまった夫は、その後どうなったのでしょうね…」 そこで言葉を切った十和子は、ほぅと長い息を吐き出した。それに、長い長い物語が終わりを迎えたのだと鬼塚は悟る。 「…胸糞悪ぃ話を長々と。反吐がでる。んな話聞かせるために、わざわざ俺をこんなとこまで連れてきたわけじゃねぇだろう」 嫌悪を隠さず言う鬼塚を、十和子はじっと見つめた。それから彼女は地面に横たわる巫女の娘を横目でちらりと見ながら、鬼塚の方へと足を動かし出した。
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