第1章

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「わたしと共に生きて」 甘い香りがどこからともなく漂って、鬼塚の中枢を麻痺させる。 「わたしをずっと、守って」 耳の内に反響する、鈴のような声。 鬼塚の頭の中には、あの唄が鳴り響いていた。 ヨナイタマ ヨナイタマ 今宵は月の満ちる夜 汝の夢はあわの如く 海へと永遠に帰りにけり 響いては消え、消えては響く。 十和子が唇を薄く開いて、鬼塚の唇へと寄せる。 鬼塚のうろのような瞳は、何も映さないまま。 そして、彼は自らその目を閉じようとした。 その時。 ドンッ!! 「っ!!」 いきなり身体が傾いて、何かがぶつかったような衝撃が走る。 白い着物の裾が、鬼塚の視界に一瞬ちらついた。 鬼塚がハッと我に返って周りを見ると、自分に縋り付いていた十和子を、何者かが突き飛ばして引き剥がしたのだとわかった。 そしてその何者か、は、ぶつかり押し倒した十和子から颯爽と立ち退き、ぼんやりと立ち尽くしていた鬼塚の方までやってきて… 「ブッフォ!?」 鬼塚の頬を思い切りぶっ叩いた。 見事な光速平手打ちであった。威力もなかなかにある。 あまりに不意のことだったため、鬼塚はよろめいてそのまま尻餅をついた。 「いってぇ~!!ぁにしやがんだボケコラカス!!」 「ボケはてめぇだろ!!何あっさり流されてんだこのどクズ野郎!!」 当然だろう文句を言ってやるが、返ってきたのはそんな暴言だった。 何者か…というか、こんなに口が悪く物怖じしない人間を、鬼塚は一人しか思い当たらない。
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