第2章

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 澁澤は、僕の言葉なんか聴こえなかったみたいに、しばらくの間、ゴソゴソと床を掻き回していたが、やがて、その動きが止まった。  と、微かな、澄んだような金属音の後に、ジッポーのホイールを回す音が響く。電気の消えた寝室に、オレンジの炎が揺らめいて、ひどく眩しい。  僕は、これみよがしの舌うちをして、顔の上に枕を載せた。  澁澤は、キャメルの一口目の煙を、ゆっくりと吐き出すと、 「演目がどうのとか、いくら「とんがった」こと言ったって、所詮、オーケストラなんてのは、オーセンティックなモンなんだよ。結局のところ、お前は『お坊ちゃん』ってこった」などと呟く。  なんだよ、ああ、面倒くさい……。  趣味の合わない「クラシックおたく」同士っていうのは、基本、始末に負えない。  というか、「クラッシックおたく」同士で、「趣味が合う」なんてこと自体、ほとんど起こり得ないことだけど。 「……で? オッサンは、どこが好きなんだよ、N響? 『超』オーセンティックって感じ?」  僕は、皮肉たっぷりに訊いてやる。  すると澁澤は、N響もまあ、悪くはないな、などと、随分とエラそうに嘯いた。  そして「強いて『好き』っていうなら、そうだな、ゲヴァントハウスあたりか」と続ける。 「『オッサンっぽい』趣味だね。ベルリン・フィルとか言わないわけ?」 「論争になると面倒だから、その名前には、あえて触れない」 「へえ、そ? 僕は……海外なら、そうだなやっぱり、コンセルトヘボウかな」 「ほう、それはそれは、若造らしく気取ってなさるこって……まあもちろん、コンセルトヘボウも悪くはないがな」  澁澤が、新しいタバコを振り出して咥えた。  っていうか、オッサン、さっきから、際限なくスパスパやっていやがるけど。  灰とか吸殻って、どこに……。 「ちょっ、オッサン! 何、ヒトの言ってること無視してタバコ吸ってんだよ!? ったく、灰とか床に散ばしやがって! いい加減にしろよな!!」
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