閑話

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 クローゼットを開け、ハンガーからシャツを取って、袖に腕を通す。  襟元を確かめようと、鏡の方へと足を踏み出したところで、爪先が、ルンバをかすめそうになった。  そういえば、オッサンが帰る時に、スイッチを入れさせたんだっけ……と思い出し、スマートフォンを放り込んでいた引き出しを開ける。  液晶画面に、ずらりと着信履歴のポップアップが並んでいた。  秦さん……? 「一体、何事?」  ぼやくように呟いて、スマホを手に取り、表示をスワイプしてロックを解除する。    そして、「とうとう、誰かに殺されでもしたか、『あの人』」などと考えながら、秦さんに、電話を掛け直した。  呼び出し音三コールで、秦さんが出る。  開口一番で訊いてみた。 「死んだの?」  ――(ボン)。 「撃たれた?」  二度目の問いに、秦さんは、無言だった。 「刺された?」  ――いえ。 「じゃあ、なんの用で、こんなに何度も電話を?」  言って僕は、溜息をつく。  ――実は、ボンに、折り入ってのお話が。  秦さんの返事は、随分と持って回った言い方だった。  僕は即座に断った。  今日は、准教授にゼミの手伝いを頼まれている。  勿論、学部生の面倒なんて、好きこのんでみたいようなものじゃない。  でも、准教授(上司)の機嫌は損ねたくなかった。  だって、僕は「教授」の大のお気に入りなのだ。    「だったら『無敵』じゃないか」って?  いいや、物事は、そう簡単じゃないんだ。   そのせいで、ただでさえ僕は准教授(カノジョ)の目の敵にされている。  一事が万事、やりにくいったらないのだ。  ――大学でのシノギなんて、ヤクザとまるで変わらない。  というか、ヤクザ屋さんが、日本の組織の減圧濃縮なんだろう。  嫉妬と警戒と、恩義、年功序列って感じ。的外れの儒教思想だ。  「どうせ八角は、いずれ海外で研究するんだろう?」とか、そんなことも、よく言われる。  けど人間関係なんて、多分どこに行ったって同じようなものなんじゃないかと、僕は思うんだけどね。
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